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憧れと信念の話

韓国ドラマ『梨泰院クラス』が各国で大ヒットしていると聞く。

私自身、GWを全て費やして一気に見終えた。主人公セロイのFUJIYAMA並みの山あり谷ありの人生に一緒に一喜一憂し、チャンガの会長には画面越しに中指を立て、「セロイーーーー」と画面に向かって茶色めの声援を送っていた。溢れ出る涙で真っ直ぐiPadを見つめられなくなり、最終的には、梨泰院まだ見てないという人に対する『梨泰院クラス押し売りおばさん』と化した。久々にドラマにどハマりしたし、何よりも就活中の荒れ切った心に染み渡る作品だった。

劇中、「信念」という言葉が度々登場する。会長の息子にパンチをお見舞いし、土下座を強要されるパク・セロイ。しかし、『信念に反することはしません』と真っ直ぐな目で言い返し、会長との長い確執の幕が開ける。それでも、堂々と父と学校を後にするセロイに対して、「いやw土下座<父のキャリアやろ」と冷ややかな眼差しを向けたのは、当初のセロイ知らずの自分の愚考である。

しかし、物語が進むにつれて、「信念」を真っ直ぐに信じて人生を歩む彼を心からカッコいいと思った。時に、自分を曲げろよ、、、と思うことも多かったのだが、何かを信じられる、何かに夢中になれる、そういう人に、強く憧れを抱く。

思えば、私が憧れる人生や人はいつも共通して、「確固たる自分」を持っている。例えば、私が尊敬してやまない留学時代の友達は、自分が興味のある分野を因数分解し、日常レベルに落とし込み、それを反映できる「場所」を作る活動を行なっている。(詳細は伏せるのでわかりにくいが、伝われば幸いだ。)彼女は大学を2年休学する決断をした。1年を留学に、2年目を自分の目指す「場所の創出」に当てることを決めたのだ。

彼女はいつも、どんな時も真っ直ぐだった。私が外国の文化や言語の壁に責任を押し付けて行動できていない間に、彼女はどんどん先を行っていた。いつだって、根底には、彼女のその国を「知りたい」、そして、その先にある彼女だけが醸成できる「学び」への探究心があったように思う。だから、彼女は自分の意見を曲げることも、自分の考えを伝えることも、ちっとも怖がっていなかった。

彼女の真っ直ぐな想いやビジョンを聞くと、心の奥底からワクワクするものがこみ上げる。その嘘のない信念が、私にもしっかりと伝わってくるからだろう。

私が出会った人の中で「尊敬」の念を抱く人には、このような「真っ直ぐな何か」を極めようとしているという特徴がある。私は、いつも感じている。自分自身に対する「中身がない形だけ」という感覚。外形には非常にこだわっているのに、内見してみると、故障の多い不完全な物件があるとするなら、それは私だ。(これは、あくまでも自分の性格を否定する、という意味ではなく、信念のなさと自分の言動の不一致を指す)だから、人の意見を聞くと簡単に心が震度9レベルに揺れ、形が崩壊する。

一番、自分の中で難しいと感じる瞬間は、「自分を信じきる」ということなのかもしれない。

私も、「ソレ」があれば真っ直ぐ自分の人生を歩める「何か」を探し続けている。



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