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店員「失礼いたしました」

全然悪いことでもなんでもないけども。気になってるの私だけかもしれないけども。

「当店のポイントカードは_」「いや、持ってないです」「失礼いたしました」とか。「Tポイントカードはお持ちでしょうか」「ないです」「失礼いたしました」とか。お会計の時によくあるやりとり。別になんてことはないけど、自分の言語感覚とは少し違った受け答え。気になり出した時からいつも違和感がある。違和感と言うか、より正確に言うならば、毎回寂しい。それは言葉が乱れているから、とかそんな話ではない。

今ではどこもかしこもレジではこういう言葉遣いをするから、実際は自分が変化に遅れていて変に敏感なだけだ。別に正しい言葉遣いをしているわけでもないくせに、そのあたりが細かいのは自分でよくわかってる。私は店員を呼ぶ時ですら、「すいません」って言うのはなんだか謝ってる感じがするから、なるべく「ちょっとよろしいですか?」って言うことが多い。早い話が極端だ。こんなどうでもいいことうだうだ考えてる時点で、到底時代に則した正しい言葉遣いでもなんでもない。だからこれは本当に自分の感覚の話。

「失礼いたしました」って言われるのがなんで寂しいか、答えはなんとなくわかる。なんかバリアを張られてるような感じがするからだ。

ポイントカードを持ってないことを告白する自分の顔が全く攻撃的でない、という前提のもとに紐解くと、おそらく相手がどういう人相であろうとこういう返答をしているのだろう。店員側の正直な気持ちとしては、「いつどういう人相のヤツがトンデモない難癖つけてくるかわからんから、とりあえずアンパイでいっとこ」みたいな感じだろう。ここで最大限保険をかけてるから、あとは気を抜いても問題なんかなくて、実際「失礼いたしました」って言う時にやっちゃった感を醸し出してる人なんか一度も見たことがない。

おそらく私の、「「失礼いたしました」って言わなきゃならんほどのことかね?」という違和感自体は自然なのだろう。しかし、そんなことより、変なヤツに難癖つけられる芽を摘んでおくことの方が、店員側からすれば格段に価値がある。このせめぎあうまでもないせめぎあいの結果、客は私を含め全員が容疑者なのである。

こうなると寂しい理由ははっきりする。やりとり上の不自然さが違和感としてとっかかりとなり、自分は畢竟経済を動かす大勢の中の一要素としか見られていない、という意識をぼんやりとした形で引っ張り出すからだ。

ここまでわかると、これを「言葉の乱れだ!」とか言って突っぱねるのはあまりに生産的でない。これがこの社会に則した言葉遣いなのだ。働く人はみんな苦労してるもんやで。

これからは、大した謂れもなく「失礼いたしました」と言われたら、「えらい世の中で、みなさん苦労してはるんやなあ」と思うことにした。それでも私の言語感覚は遅れをとっているので違和感は残り続けるのだろうけど。

最近はいい加減慣れてきたかなあ。でもこのあいだレジで不意を突かれたことがあって。

「ポイントカードありますか?」「すみません、持ってないです」「承知しました」

これは初めての違和感。あれ、違和感がないぞ、という違和感。イギリスに旅行行った時に、海外なのに車が左側通行で、「海外っぽさないなあ」って思った時とおんなじ。寂しさはなかったし、「それええやん」と思った。

ありがとう無印良品。買った傘、なんか思ってたよりちょっとちっちゃかったけど、大事にします。


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