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うつ病克服への道

最近よく回復までの道のりを
尋ねられる事が多いので
書いてみようと思います


私は31歳頃に
重度パニック障害と診断され
その合併からうつ病、身体表現障害、
乖離性運動障害等診断されました。

あ…克服したのかもと思ったのは
44-5歳頃だと思います。
なので約15年の闘病という事になります。

重度だったので寝たきりの時期もありました。
そんな状態の時はとにかく
ストレスの少ない環境を作り
頭も体を休ませる事が大事です。
社会人だと社会に置いていかれる恐怖や
収入も絶たれるという怖さがあり
療養生活を拒否する方も多いですが
社会やお金よりも
命が大事なことを医者に説得されました。

苦しい体のまま一生過ごすのか
数年間キッパリ社会から身を引いて
しっかり療養生活をして
療養生活後に元気に過ごすのか

私は後者を選びました。

30代という女性にとっては
出産や子育てラッシュのお年頃。
キャリアも重ねていく年齢。
でもそれは捨てました。

幸い私の周囲には
同じ病気の克服者が何人かいて
その方々が回復後
とても病気をしていたとは思えない位
明るくとても活躍していたから。

その方々のアドバイスは

15年位は、赤ちゃんになったつもりで
何かの役に立とうとか思わず
生きてるだけでいいと思いなさい
そのうち気力が湧いてきたら
ゴロゴロするのに飽きてくるから
そうなったら動き始めていい
気がついたら元気になってたって思えるから
それまで焦っちゃダメ

私はこの言葉を信じて
15年覚悟で療養生活をしました。

もちろんその間、
気分がいい時は趣味のお裁縫をしたり
おもちゃの楽器いじりをしたり
時にはピアノを弾いたりしてはいましたが
基本は療養生活でした。

心にはいつも不安を抱えて
ストレスから常に心臓が痛く
呼吸も浅いため胸の痛みもあり
食事もちゃんと取れず
笑うこともあまり出来ず
うつ病独特の朝の具合が悪く
夜は比較的に軽くなるため
昼夜逆転の生活リズム。
病状、薬、栄養が取れず常にフラフラでした。

30代いっぱいはそんな感じで
前頭葉おでこの当たりが常にモヤモヤしていて
すぐ不安になってドキドキしては
過呼吸になっていました。
いつ過呼吸になってもいいように
紙袋は手が届く所に置いていました。

そのうち40代になり
気がついたら
過呼吸も減っていき
強いストレスを浴びた時以外は大丈夫になっていきました。

発作が出ても
あっ出たけどすぐ回復するし、と
大したことないと思えるようになりました。
克服が近づいてきたのかも
と思いました。

でも昼夜生活は逆転している状態でした。
これは治すのは結構大変なのです。

夜は体が軽く頭も冴えるから
完全夜型人間で今後もその生活でいいんじゃないか
とすら思いました。

復活した後
私のしたい音楽の仕事は朝からある事もある。
夜型人間ではダメ。

自律神経を整えるには
朝、朝日を浴びて起きる事。
これがとても重要。
ここもうつ病克服には大事。
精神科の先生も毎回毎回言っていましたが
何年も出来ませんでした。

私の将来はこのまま不安爆弾を抱えて
ビクビク生きていくのは嫌だと思いました。

友人に
「どうやったら幸せになれるのかな?」

と尋ねた数日後
Amazonから本が届きました。

「タイトルに惑わされず、読んでみて」

とメッセージを添えて友人がプレゼントしてくれたのが

嫌われる勇気


という本。
ベストセラーのアドラー心理学の本。
タイトルにドキっとしながら
読んでみた。

不安になりたいから不安な事を考える
病気を本当は治したくないから病気のまま。
本当に嫌ならば手放せばいい。

そんな事が書いてあり

病気なんか好きでなった訳じゃない!!!
とカチーンと来て本を閉じた。

数日後、ムカつきながらまた
その一節を読んだ。

病気を手放す…
不安を手放す

それにはどうしたらいいか。

先ずは分かりやすく何が不安か。
収入が少ない
(夜のラウンジピアニストのお仕事は少ししていた)
それなら働けばいい。
元気じゃないから働けない。
働き口は元気ならばアルバイトでもなんでもある。
元気になるには自律神経を整えねば。
その為には朝起きる練習をしよう。
朝、体がキツくて活動できなくても
朝、とりあえず目を醒ます癖をつけようと
目覚まし時計を毎日朝8時に鳴るように設定。

え?
たったそんだけの事?
と思われるだろうけど
たったそんな事すら
「朝キツいし」言い訳をして出来なかったのです。

療養生活では朝起きなくても
用事がないから別に起きなくても大丈夫だし
困らない。

けれども
自律神経を整える為に
毎日目覚ましを鳴らそうと
1歩踏み出した。

朝、目覚ましが鳴るけれど
頭も体も重く起きれない。
でも目覚ましを消して寝る。
マイルールで目覚まし消した後、また寝ていい事に。

それだけを繰り返した。

そうすると
朝その時間に目が覚めるようになってくる。

目覚ましを消すのに慣れた。

その次はカーテンを開ける事を習慣づけさせよう。

目覚ましを消すのは寝たままでも出来る。
だがカーテンを開けるには起き上がらければならない。

朝起き上がるのは
目眩、フラフラとの格闘。
立ち上がるのもやっとだ。
なので上体をおこして腕を伸ばして
下半身は布団の中のまま
カーテンをシャーと半分開けた。

それでOKにした。

部屋に明かりが入る。

これだけでOK。

カーテン越しでも朝日を浴びれる事になる。
自律神経が整う第1歩だ。
鉛のような言うことをきかない体を
少しづつ少しづつできる範囲でコントロール出来るようにするんだ!


カーテンを開けた後
再び寝るのはOKにした。

とにかくハードルを下げて
1mm単位でできることをコツコツ積み重ねていった。

10数年飲んだ精神薬も
短期記憶力が飛びまくって
生活や演奏に支障が出ていたので
もう手放してもいいかもしれないと思った。

これには
タイミングもとても大事なので
出来ると思えた時に無理なくする。
(急に辞めると麻薬中毒のように酷い禁断症状が出る為)
苦しくなったら元の量に戻す
と自分で決めて
今日は大丈夫そう、と思った日は
お薬をカッターで1mm削って減らす。

今日は1mm削る。
今日はちょっとキツいから削らない。
今日は気分がいいから2mm削ってみよう。

こんな感じで
薬を減らすのに慣れていきました。

半年位経つ頃には
薬を飲まなくてもいい日も出てきて
前頭葉のモヤモヤがなくなって
頭がスッキリしてきました。

食事もしかり。
血液検査で出た貧血。
卵やお肉等のタンパク質をちゃんと食べるようにしよう。
最初は受け付けなかったけれど
元気になるお薬だと思いながら食べるようにしました。

全ては
自由に動かない、このポンコツな体を
自由にコントロール出来るようにする為。
死ぬ前に楽しい人生だったと思いたい為。
少しでも楽しいと思える事がしたい為。
大好きな人に会いにいきたい、
大好きなピアノを仕事にしたい、
毎日お腹抱えて笑える人生にしたい。


お金持ちになれなくても
毎日笑える事が
私にとっての勝ち組。
これが目標。

コンプレックスは今も沢山あるけれど
1個ずつ
ゲーム感覚で解決させていく。
自分がドラクエの主人公になった感覚で。

これは
言い訳せず
環境のせいや、他力本願にせず
自分で解決するという意識が大事。
ギャラリーがワーワー言ってもダメなんです。

病気にも手術すれば治る、など
お医者さん頼りの所があるけれど
自律神経やメンタルは
他人がいじりようがない。

自分の考え方を変えるしかないのです。

自分を不幸にしたければ不幸に出来るし
自分を幸せにしたければ幸せにも出来る。


絶賛鬱真っ只中の人は
焦って無茶して反動でさらに悪化もあるので
これはあくまでも
○長年闘病をしてるけど良くならない
○以前よりも少しいいけれど普通の生活までいかない
○めちゃくちゃ悪くないけど良くもない
の段階に来ているひと向けの対処方法です。


うつ病やパニック障害は完治はしないけれど
寛解はします。

私も今は健康維持に
憧れていたバレエを習いに行くほど元気ではありますが
強烈なストレスがかかると過呼吸が出たりします。

でも克服の仕方がわかっているので
過剰な不安に襲われる事はないです。

苦しい闘病生活の事は
忘れる事は出来ず
「死にたい」と思い続ける事もしっかり記憶にありますが
ちょっとしたトラブルがあった時、

「これで死ぬわけじゃないし…」
「どーしても解決出来なきゃ私が死ねばいいじゃない?」

等思う癖があるのですが
命をかけてまでのトラブルってそうそうないんですよ😂
大抵の事って解決出来るんですよね。

人間は大きな宇宙単位で見たら
アリンコがせっせとエサ持って歩いているのと同じで
一生懸命生きている。
草花と同じで
風が吹けば揺れるし
枯れたら土に戻る。

人間ってそんなに大袈裟な生き物じゃないんですよね。

今日もお日様が出ている。
夜ぬくぬくになるようにお布団干して、
臭いお洋服は嫌だからお洗濯して
美味しいもの作って食べよう。

小さな日常が幸せなのです。

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