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多家神社(埃宮)〜神武天皇ゆかりの地

多家神社(たけじんじゃ)

埃宮(えのみや)


【所在地】

広島県安芸郡府中町


【御祭神】

[主祭神] 

神武天皇(じんむてんのう)

安芸津彦命(あきつひこのみこと)

[相殿神]

神功皇后(じんぐうこうごう)

応神天皇(おうじんてんのう)

大己貴命(おおなむちのみこと)


【摂末社】

貴船神社(きふねじんじゃ)

[御祭神]

高龗神(たかおかみのかみ)

別雷神(わけいかづちのかみ)

大山津見神(おおやまづみのかみ)


【誰曽廼森(たれそのもり)】

神武天皇が、

「曽(そ)は誰(たれ)そ」=「あなたは誰ですか?」

と土地の者に尋ねたことからこの名がついた。

多家神社は、緑豊かな誰曽廼森の中に鎮座する。


【多家神社(埃宮)について】

『神武東征』の一行が、7年間滞在した場所(日本書紀では2ヶ月)。

神武天皇の皇居が後に多家神社となった。

古事記では『多祁理宮(たけりのみや)』、日本書紀では『埃宮(えのみや)』と記されている。

菅原道真が編纂した、平安時代の法典『延喜式』には、*安芸国の名神大社三社の一つと記されている。

広島城の三の丸にあった稲荷神社を移築した『宝蔵(ほうぞう)』がある。

*安芸国の名神大社三社:多家神社・速谷神社・厳島神社。


【神武天皇】

名は、神倭伊波礼毘古尊(かむやまといわれびこのみこと)。

初代天皇。

紀元前660年即位。


【神武東征】

神倭伊波礼毘古尊が、日本を平定するために、九州の日向(宮崎県)から軍勢を率いて東進し、大和(奈良盆地とその周辺)を統治していた長髄彦(ながすねひこ)を滅ぼし、初めて天皇の位についた。


【多家神社の宝蔵】

『宝蔵』は、校倉造(あぜくらづくり)と呼ばれる建築様式。

柱はなく、*校木(あぜき)を四方に組上げて壁とする建築方法で、壁が檜皮葺(ひわだぶき)の屋根を支えている。

校倉造は通気性がよく、宝物の保存に適している。

校倉造では、組上げる*校木に通常、断面が三角形を加工した五角形の木材を使用する。

多家神社の宝蔵は、四角形を加工した六角形の木材を使用しており、これは国宝『信貴山縁起絵巻(しぎさんえんぎえまき)に描かれているものと同じ。

現存する校倉の中では外に例がなく、実物が見れるのは貴重。

*校木(あぜき):太い柱。

何度撮っても光が写る


神社創建の経緯、神武東征の経路、神武天皇、安芸津彦命、先代旧事本紀など、多家神社についての詳細はこちら⏬

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