【試し読み】君たちはウクライナの夜を知っているか?『ウクライナの夜——革命と侵攻の現代史』
いまだに先行きが見通せない、ロシアによるウクライナ侵攻。ここに至るまでも、ウクライナはマイダン革命、クリミア併合、ドンバス紛争へと続く事態に揺れ続けてきました。
『ウクライナの夜——革命と侵攻の現代史』(2022年6月中旬発売予定)では、ウクライナの市民、証言者の声を織り交ぜながら、一連の情勢を立体的に描き出します。プーチンの思惑や、西欧(EU, NATO)とロシアの狭間に位置するウクライナの地政学上の位置、国際情勢など、侵攻の背景を知るうえで広い知見を得られる一冊です。
このnoteでは、池田年穂さんによる訳者あとがきの一部を公開します。ぜひご一読ください。
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本書はMarci Shore, The Ukrainian Night: An Intimate History of Revolution, Yale University Press, 2017の全訳です。
翻訳をしていて、これほど不気味な感じを味わったのは初めてです。
ここに描かれているのは2014年の話なのです。
これもまた2014年の話です。
あるいは、
など示唆的な表現はあまりに多く、引用をし出したらきりがありませんから、ここらで止めておきましょう。
2017年1月にティモシー・スナイダーさんが初来日しました。無理を言って慶應でも講演をしてもらいました。雑談の折り、ちょうど出版されるところだからと言って夫人のやはり高名な東欧史学者のマーシ・ショアさんの本書の翻訳を依頼されました。ただ、そのあと訳者は7冊の他の訳書の刊行を優先しました。コロナ禍による緊急事態宣言にあたってしまったスナイダーさんの『自由なき世界』や、ロシア社会を描いて荒唐無稽と思われていたポマランツェフさんの『プーチンのユートピア』が今ではしばしば品切れを起こしているのは、それぞれ現実のウクライナ情勢の、またプーチンと彼の治めるロシア社会の実相の説明となっているからでしょう。加えて前者などしばしば「予見的」だったとさえ評されています。
本書171頁の、アナスタシア・テプリャコーワという若い歴史家の言葉にこうしたくだりがあります。
そのとおりだと思います。歴史家は予言者ではありません。ただ、History doesn’t repeat itself, but it often rhymes. という表現もあります。どのカテゴリーの研究者が今回のロシアによるウクライナ侵攻をありえないとしていたか、どのカテゴリーの研究者が逆のことを言っていたかを検証することは、研究者の対象へのアプローチやバイアスについて検証することに繋がるかもしれないとふと考えたりします。
訳者はこの1年半というもの、いくつもの雑事に追われる身となりました。そうしたなか1月の半ばに原著者サイドから慫慂がありました。「侵攻はほぼ100%ありうる。2014年のマイダン革命やクリミア併合、ドンバスでの今に続く戦いを描いた本書は恰好な道標【みちしるべ】になるだろう」というものでした。2014年に初めてウクライナで「国民国家」が成立したという見解は以前から共有していました。また、有権者は有事の際には status quo を支持するから、各国の選挙では、現政権が有利になるだろうという観測も、今回お互い同意できるものでした。また、
それにもかかわらず、ロシア語話者イコール「親露派」という認識がメディアで声高に語られていたからこそ翻訳を急がねばと思いました。
訳者は2月半ばから3月半ばの、それも夜のみを使って翻訳を進めることに決めました。ところが翻訳を始めて10日後に、ロシアのウクライナ侵攻です。侵攻があるとは思っていましたが、まさか「ジョン・ウエイン・スタイル」で攻め入るとは考えていませんでした。
そして第2次世界大戦時のままの戦争と、「ポスト・モダン」、あるいは「ポスト・ポスト・モダン」な戦いが同時に繰りひろげられています。加えて3月4日でしたか、ザポリージャ原発への攻撃にも肝を冷やしました。本書第Ⅱ部の「キーウの東での戦い」では、現在進行形のウクライナの戦況と翻訳の内容が頭の中で重なってしまうことが、あまりにも頻繁に起きました。
明治維新からいくつもの戦争を経て敗戦まで77年。敗戦から現在までも77年です。たぶん訳者らの世代は「平和惚け」と呼ばれても仕方ないのでしょう。2015年2月の「ミンスク合意2」を、「ミュンヘン会談」におけるヒトラーへの宥和政策の失敗の再現だと評する声もよく聞かれますが、その2つの会談のあいだも不思議なことに77年でした。ドニプロペトローウシクの高校の中年の歴史の先生は生徒たちにこう語ります。
(そう言えば、「ホロドモール」はミュンヘン会談のほんの数年前のことでした)。
まさにマイダン革命と平行して翻訳を進めて、スナイダーさんの『赤い大公――ハプスブルク家と東欧の20世紀』を世に問うたのでした。それ以来ウクライナのファンになり、知己もできた訳者です。そのうえ本書の翻訳を通じて、実際には会ったことのないたくさんの登場人物にも感情移入するようになってしまいましたが、はたして彼ら彼女らは8年後の現在どうしているだろうかと思うこと頻りです。「解説」でも言及されている世界的ロックスターで政界にも進出したことのあるスラヴァ・ヴァカルチュクは、『ローリングストーン』誌やツイッター、ユーチューブを使って発信を続けていますので、Sviatoslav Vakarchukで検索してくださればと思います。
まことに含蓄のある表現ですが、今回は西側も支援をしています。155、156頁にあるように、多くのウクライナ人にとって、2014年の段階から「ウクライナ東部での戦争は、ヨーロッパの境目をめぐる問題」だったのでしょうし、西側もそう捉えているのでしょうから。
ショアさんは、「優しく親切で、敬虔なキリスト教徒だった。小説を翻訳していて、いつも素寒貧【すかんぴん】だったが、不満を言うことはなかった」という誠に好ましいロシア人の友人ポリーナのプーチン擁護の言説を本書30章で何頁にもまたがって紹介しています。あるいは、本書50章に出てくる素朴なロシア兵サーシャ。彼らを憎むことは難しいでしょう。ただ、今回の侵略においてはロシア側にコーズなどなく、民間人殺傷や拉致・強制移住などの非人道的なやり方や、略奪やロシアへの持ち帰りなどは、時計が80年も戻った気がします。このあとがきを記している4月23日現在で今後のゆくえはまるで予測できず、露宇両国だけでなく、世界中がその影響を被っているという情報があるのみです。「絶望の虚妄なること、希望と相同じい」というフレーズが思い浮かびます。「健全な継承原理」や国際法を踏みにじる「権威主義体制」には、洋の東西を問わず注意をしてゆかねばと思っています。
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