【試し読み】『陰謀論はなぜ生まれるのか』
アメリカ連邦議会議事堂襲撃事件はなぜ起こったのか?
世界中を震撼させた「Qアノン」現象の根源に分け入り、権威や既存メディアに疑問を抱き陰謀論を信じる人々の深層に迫る傑作ノンフィクション『陰謀論はなぜ生まれるのか』。
このnoteでは、「訳者解説」を一部公開します。
ぜひご一読ください。
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訳者解説
本書は、2021年に出版されたマイク・ロスチャイルドのThe Storm Is Upon Us: How QAnon Became a Movement, Cult, and Conspiracy Theory of Everything. Brooklyn,London: Melville House Publishing. の全訳である。
著者のロスチャイルドは、アメリカのジャーナリストである。これまでにも陰謀論をテーマにしたThe World’s Worst Conspiracies(2019年)やJewish Space Lasers(2023年)を出版している。今売り出し中の気鋭の書き手といってよい。肩書きはジャーナリストであるが、主要メディアに所属しているわけではなく、フリーで活動するデバンカー(陰謀論やニセ科学などの主張の虚偽を暴く人々のこと)といった方が正確かもしれない。2018年からQアノンの陰謀論についての記事を執筆しはじめ、『ニューヨークタイムズ』や『ワシントンポスト』、CNNなどアメリカの主要メディアに陰謀論に精通した識者のひとりとして数多く登場するようになった。
著者の出世作といってもよい本書は、アメリカの匿名画像掲示板4chan から生まれたQアノン陰謀論のムーブメントが急激に成長を遂げていった経緯をたどりながら、このQアノン現象の全体像に迫ろうとした意欲作である。
Qアノンという名称は、Qを名乗る投稿者の陰謀論を匿名のネットユーザーたちが熱狂的に信奉しているところから生まれた。アノンというのは、「匿名の」を意味する英語anonymousの省略形anonに由来するものだ。本書は、Qアノンの陰謀論に関するもっとも信頼のおける解説書のひとつであり、それゆえ、ここでQアノンの解説を書くことは避けたい。Qアノンとは何か、それがいかにして生まれ、どのように拡大していったのか、詳細を知りたい人は、本書をじっくり読むのが一番であろう。
とりわけ読者の中に、陰謀論から自分の家族や友人をどのように救い出すことができるのかという点に切実な関心を持たれている方がいるならば、第
13章を一読することをお勧めしたい。これまで多くのQ信者の家族と接してきた著者が、悩みながらも考え抜いた内容がそこには書かれている。決して楽観的な助言とは言えないにしても、陰謀論者との距離の取り方についてなんらかのヒントが得られるのではないかと思われる。
ところで、読者の中には、陰謀論というテーマそのものにあまり馴染みのない人もいるかもしれない。
正直なところ、訳者も2021年1月6日にアメリカで起きた連邦議会議事堂襲撃事件を目の当たりにするまでは、陰謀論というテーマにほとんど関心を向けたことがなかった。しかし、あの日議事堂を襲撃した暴徒たちは、2020年のアメリカ大統領選挙が「盗まれた」と思い込んでいた。本当はドナルド・トランプが勝利したのに、バイデン陣営が不正な方法でその勝利を「盗み取った」と信じていたのである。
これがいわゆる「不正選挙」陰謀論と呼ばれる考え方だ。
この1・6の襲撃事件によって、陰謀論は一部の人間だけが強い関心を持つサブカル的話題ではなくなり、現代の民主政治の根幹を揺さぶる大問題となった。そこで、以下においては、特に「不正選挙」陰謀論に焦点を当てながら、陰謀論とは何か、なぜ陰謀論が容易に拡散するようになったのか、陰謀論が今後の民主政治にどのような影響を及ぼしていくのかという点に限定した解説を加えておきたい。
陰謀論とは何か
まず、本書の中心的テーマである陰謀論とは何かという点を取り上げておこう。陰謀論研究における重要な論点のひとつに、「陰謀」と「陰謀論」の区別に関わるものがある。この点については、本書の第6章においても言及があるが、ここではジョゼフ・ユージンスキによる概念の定義に注目してみよう。
ユージンスキによると、「陰謀」とは、権力を持つ少人数の集団が、自分たちの利益のために、公共の利益に反して秘密裏に行動することをいう(『陰謀論入門――誰が、なぜ信じるのか?』北村京子訳、作品社、2022年、41頁)。他方で「陰謀論」は、過去、現在、未来における出来事や状況を説明するにあたって、その主な原因として陰謀を挙げる考え方を指す(同43頁)。
乱暴にいえば、「陰謀」とは、現実に計画、実行された悪巧みのことであり、「陰謀論」とは世の中の出来事がすべて誰かによって仕組まれた陰謀であるかのようにみなす考え方のことである。注目したいのは、陰謀論者が常に針小棒大な論理で物を考える事実があるにしても、現実政治において陰謀や謀略の果たす役割をあまりに軽視しすぎることも問題であるということだ。
規模や効果・影響の大小はともかく、政治的な敵対関係が存在する状況下では、陰謀が企てられることはさほど珍しくはない。近年においては、ロシアが数多くの悪名高き事例を提供してくれている。とりわけ、2016年のアメリカ大統領選挙にロシアが国家として大々的に介入した「ロシアゲート事件」は、その規模、方法、影響などの点で特筆に値する。
実行された陰謀と陰謀論を区別することはそれほど簡単なことではない。特に陰謀のスケールが大きくなるほど、その内容は映画のつくり話のようにしか思えず、荒唐無稽な陰謀論のようにみえてしまうのが普通である。「ロシアゲート事件」にしても、訳者は2022年にロシアがウクライナに侵攻するまでそれほど深刻な問題として認識していなかった。事件の調査結果の詳細が記された「モラー・レポート」(特別検察官ロバート・モラーの責任においてまとめられたロシアゲート事件の詳細な報告書のこと。2019年4月に公開された)に強い関心を覚えることもなかった。「ロシアゲート事件」について大騒ぎする人たちの口ぶりが、水面下の政治的工作を必要以上に深刻に捉える陰謀論的思考のように感じられたからである。
北朝鮮の拉致問題について最初に聞いたときも同じだった。現代の国家がそこまで悪意に満ちた大規模かつ計画的な犯罪をやるものだろうかと思ったからである。しかし、これらの印象はいずれも間違っていた。北朝鮮拉致問題も「ロシアゲート事件」も紛れもない事実であったのだ。
それでは、陰謀と陰謀論の区別を見極めるための決定的要素とは何であろうか。ユージンスキはそれは「認識論的権威」が決めるほかないという考え方を提案している(同42頁)。ここでいう認識論的権威とは、ある知識を評価するための専門的な訓練を受けた人々のことを指す(同42頁)。物理学や歴史学に関わる認識論的権威は物理学者、歴史学者であり、法に関わることであれば裁判官、検察官、弁護士、法学者といった人たちが認識論的権威ということになる。内容それ自体ではなく、こうした認識論的権威の下す結論によってしか「陰謀」と「陰謀論」の違いを定義することはできないということだ。「ロシアゲート事件」も北朝鮮の拉致問題も、捜査当局による大規模な捜査によって真相が明らかにされた。そして、関係機関の認定を経て初めてわれわれはそれを社会的現実として受け入れたのである。
陰謀論とは何かという点について、もうひとつ取り上げておきたい点がある。それは、マイケル・バーカンの表現を借りていえば、陰謀論が「烙印を押された知識」(stigmatized knowledge)であるということだ(『現代アメリカの陰謀論――黙示録・秘密結社・ユダヤ人・異星人』林和彦訳、三交社、2004年、46-50頁)。
「烙印を押された知識」という表現は、陰謀論が世の中で正当な知識とはみなされず、いかがわしいもの、胡散臭いものであると認知されている点を上手く捉えている。陰謀論の研究を進めていく上では、こうした「烙印を押された知識」を生産する文化的土壌がどのようなものであるかを知ることも欠かせない。著者はQアノン陰謀論を生んだアメリカの匿名画像掲示板4chan が、反ユダヤ主義や信用詐欺、ネオナチや白人至上主義の思想が合流する場所であったことを興味深く描き出している。現代の陰謀論が、アンダーグランドなネット文化を苗床として成長するものであることがここから伺える。
日本の読者は、ルポライター清義明の「Qアノンと日本発の匿名掲示板カルチャー」を読むことで、この点についての理解を一層深めることができるだろう。1・6の事件の余韻も冷めやらぬ2021年3月にウェブマガジン『論座』に連載されたこの論文において、清はQアノンを生み出したのが日本発の匿名掲示板文化であったという驚くべき主張を展開した。
本書でも言及されているように、4chan は当時若干15歳のクリストファー・プールが2003年に開設した掲示板だ。2ちゃんねるから分派した「ふたば☆ちゃんねる」の影響を受けて始まった4chan は、当初日本のアニメ好きのオタクたちが集まる場所にすぎなかった。清の論考は、この4chan がQアノンというモンスターを生み出していく経緯を、2ちゃんねるから続く匿名掲示板の世界の人脈とネット文化史を交錯させながら読み解いていったものだ。
清の論文の主たる狙いは、無法地帯化する匿名掲示板を管理人が野放しにし続けたことの社会的責任を1・6の襲撃事件後の文脈において、改めて厳しく問うことにあったといってよい。特に2ちゃんねる開設者であり、Qアノンが誕生した当時の4chan の管理人であった「ひろゆき」こと西村博之氏の責任が、いかに重いものであるかを清は徹底して問いかけていった。清のひろゆき論は現在も続いており、『2ちゃん化する世界――匿名掲示板文化と社会運動』(新曜社、2023年)、「アンチ・ヒーロー『ひろゆき』は何者なのか」(日刊ゲンダイDIGITAL、2023年)などでその後の展開を読むことができる。
本書は、匿名掲示板の文化がどのようなものであるかについて大きな関心を向けているわけではない。
むしろネットのダークサイドの部分から這い出してきたQアノン陰謀論が、2020年に世界を襲った新型コロナウイルスのパンデミックを経て、共和党主流派の中にまで入り込んでいくその急激な拡大の過程に主な焦点を当てている。だが、陰謀論とは何かという基本的な問題について考える際に、「烙印を押された知識」としての陰謀論がどのような文化的土壌のもとに生まれ、成長してきたのかという視点は欠かすことができないものである。
(続きは本書にて…。)
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