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◉三田文學編集部と私◉ 「生きた化石」を飼う

出版社などの編集部で働く人が、どんないきさつでそこに辿り着いたか、そんな話を聞けたら面白いのではないか…
今回は三田編集部員のMさんに、ご自身の経験を綴って頂きました。

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 寒い日が続いておりますが、皆さま、お元気でいらっしゃいますでしょうか。
 はじめまして、編集部員Mと申します。ふだんは大学院の博士課程で人と物の境界からアメリカ文学を研究しております。先日初めて学会発表なるものを体験しました。
 そしていつも編集部では書評を書く仕事をいただいたり、三田文學の会員の方々向けのメルマガを書いたりなどしているのですが、
 この度はnoteで書く役割を仰せつかりましたので、私がどうして編集部で働きはじめたのか、その経緯を書いていこうと思います。
 万が一未来に編集部に辿り着くことになる方の道しるべになれば(なるのか?)幸いです。

 大学に入って一番初めにやったアルバイトは「千と千尋の神隠し」のように働かされるハードな小籠包屋さんで、そこを三か月で辞した後、まだ大学一年生だった私は大好きだった小籠包を二度と見たくなくなり、苔のような生活を送っておりました。
 当然「もう二度と働きたくないでござる」と思っていました。半年ぐらいはそうして横たわって静かに暮らしていたと思います。
 そんな折、ふと、大学に入ったばかりの頃に目にした『塾』という広報誌の「三田文学編集部」に関する記事を思い出しました。どうして思い出したのかはよくわかりません。でも、とにかくふっと思い出し、同時に、サークルの先輩が三田文学のイベントの告知をしていたのもなぜだか脳をよぎりました。
 そこからは細い糸を辿ってゆくような気持で、私らしからぬ行動力を発揮し、お会いしたこともないその先輩に連絡してみたところ、たまたまその先輩が編集部で働いていて、さらにその先輩は海より心が広い人だったので、見ず知らずの私をダメもとで編集部に紹介してくださり、しかも編集部ではたまたま近く採用面接をすることになっていて、面接を受けることになりました。怒涛の偶然の連続に、綱渡りしてみたらできてしまったような、不思議な感覚になったのを覚えています。
 そして面接の日、何を準備すればいいのかちっともわからないまま、『三田文學』の歴史を調べて長すぎる歴史に震え(縁ある文豪の名前の抜き打ちテストとかあったらどうしよう! 多すぎる……!!)、言われた場所に時間よりだいぶ前に辿り着きました。

 そこは大学の敷地の隅に、金木犀やら笹やらの林に浸食されながらに立っているようなプレハブの建物で、わたしがたぬきだったらここらへんで人を騙すだろうと思われました。正体がバレたらすぐ林に逃げ込めるからです。
 当時人間不信からほぼ誰とも話さない苔のような生活を送っていた私は、時間より早く編集部に着いてしまったことで緊張を高めてしまいました。しばらく林がざわざわとする中うろうろしてから階段を上り、編集部に到着すると、そこには本がそこらじゅうにうずたかく積まれ、本に埋もれるようにコピー機と机とパソコンがある小さな部屋がありました。手前には簡単な応接スペースがあり、今も私の上司をしている副編集長が優しく迎え入れてくださいました。
 素敵な社会人に生まれて初めて名刺を貰い、舞い上がってしまった私は聞かれるままに一生懸命答えた気がするのですが、もうほとんど覚えていません。多分おさないたぬきが初めて人に化けた時に話すことばのような、人間界では意味のわからないことを言っていたに違いありません。しかし、もう林に逃げ込む寸前……! というところで編集長から電話がかかってきて、その隙に一旦態勢を立て直し、なんとか(しっぽを隠して)人の形を取り繕ったことを覚えています。
 そしてなぜだか面接に受かってしまい、月日は巡り、私は今編集部でぬくぬくとこの文章を書いている……。不思議なことですね。人生は案外運と縁、細い糸を手繰っていくようなものなのかもしれません。採用通知のメールが来た時も(絶対落ちていると思っていたので)半日かけて開いた後、震える手で線香に火をつけ、思わず仏壇に祈ってしまいました。
 
 それからもう五年になり、大学二年生だった私は博士課程の一年生にまでなってしましました。いろんなことがありました。編集部で働き始めてからは、優しい上司や物知りで面白い先輩たちに仕事(一般的な常識からnoteで紹介されている見本紙作成まで)や面白い本や世界のことを教わり、ひとつひとつのことが自分の好きな文学の世界の裏側に続いていて、何もかもすべてにわくわくしながら覚えていきました。
 校了の打ち上げに編集部でピザやお寿司を食べてお酒を飲んだ日があったり、作家の方がくださったシュトーレンを食べたり、編集長のおうちで先輩たちと一緒にラグビーを見てキヌアを食べたり、ひたすら封筒に雑誌を詰めるだけの一日を過ごしたり、上司に自分が書いた物語(恥ずかしい)をお渡ししたら、それが編集長、さらにスピード便で指導教授のもとに届いてしまって死ぬ思いをしたり、クリスマスにお留守番したり、みんなでゲームをしたり、濃ゆい人間関係が形成されているSF大会に一人で雑誌を売りに行ったり、夜遅くまで仕事が終わらなかったり、編集部に幽霊が出るという噂があったり、遠藤周作さんの手書きの日記を一文字ずつ確認したり、優しく素敵な上司が時折語ってくれる世界の終わり(?)の話に耳を傾けたり、ウクライナから届いた切実な文章を翻訳したり、大学内のある建物にある薄暗い空間に上司と荷物を持って行った話をメルマガに書いたらそれは機密だから書いてはいけませんと言われたり……。
 編集部では言葉が絶えず雨のように流れていきます。日々世界に溢れるたくさんの言葉や物語、本が届き、原稿が届き、ブラックホールの様相を呈しながら、しかしここにはそれを受け取る人たちがいます。
 学生のアルバイトにすぎない私から見ても最近大学や人文学への風当たりは厳しく、この『三田文學』という「生きた化石」のような文芸誌をのんびりと大学内に飼っている余裕はどんどんなくなってきているのかもしれないと思うことがあります。「生きた化石」は「生きた化石」のままではいられなくなるかもしれません。それでも可能な限り、終わりの日まで、この編集部の行く末に幸あらんことを願っています。

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