【試し読み】『移民は世界をどう変えてきたか――文化移植の経済学』
4月新刊として『移民は世界をどう変えてきたか――文化移植の経済学』を刊行致しました。シリア難民をめぐる議論やトランプ政権時代の「国境の壁」問題など、緊張感が一層高まっている世界に於いて、これまで移民が世界に与えてきた影響を今一度振り返ることが重要ではないでしょうか。本書では、近年著しく発展している計量分析手法を用いて、移民や彼らの文化がもたらす効果・影響を重層的に整理、分析します。今回はその冒頭部分を公開します。ぜひご一読下さい。
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はじめに 最善の移民政策
経済面から見て特に特徴のない、次の三つの国を考えてみよう。
エジプト
パラグアイ
インドネシア
これらの国はいずれも、平均所得がアメリカの平均の約5分の1で、地球上の所得分布のちょうど中間くらいに位置する。そしてこの所得の低さが非常に重要なのだ。約2000万人のインドネシア人の家には最低限のトイレ設備すらなく、地方に住むパラグアイ人のうち、家に水が通っているのは全体の4分の1しかおらず、平均的なエジプト人が使用している電気量は平均的なアメリカ人の電気使用量のわずか8分の1程度だ。
そこで、もしこれら三つの国の一般庶民の生活を改善する移民政策があるとしたら、それはどんなものになるだろうか? しかも短期的ではなく長い目で見て、何世代にもわたってより良い暮らしができるようにするには?
こんな政策はどうだろうか。毎年、中国からたくさんの人(各国の人口の2%程度)を受け入れ、それを十数年間続ける。すると、
エジプトは年間200万人
パラグアイは年間15万人
インドネシアは年間500万人
を受け入れることになる。
基本的な身元調査にパスした中国人――犯罪歴なし、高卒の学歴もしくは大学や職業訓練校における多少の経験あり――なら誰でも受け入れ、彼らに永住を勧める。
なぜか? 周りを見渡してみよう。数世紀にわたって中国から多くの移民を受け入れてきた国はいずれも、中国系移民のコミュニティはかなり良好だ。彼らは教育と起業を重視し、貯蓄率も高い――不平不満はそれほどく、たいていのものは気に入っている。また、シンガポールや台湾など中国系移民の子孫が人口の大半を占める国を見てみると、これらの国は優秀で有能な政府、汚職率の低さ、新型コロナウイルスとの闘いにおけるすばらしい成功のモデルとなっている。こうした国々は比較的裕福でもある。たとえば平均的なシンガポール人は、平均的なアメリカ人よりもずっと金持ちだ。
中国系移民にはすばらしい実績があるが、要はこういうことだ。こんにち、中国という国自体が単に十分貧しく、おそらく今後数十年経っても十分に貧しいと想定されるため、前途有望な機会があれば、何千万人もの中国市民が海外に定住するチャンスを喜んで受け入れるだろう。ということで、こ
の政策を試してみよう。中国人ならほとんど誰でもいいので、これら三つの国のいずれかに移動させ、5年以上住んだら次の5年は免税にする。そうなれば多くの人々の定住に拍車がかかるだろう。
たっぷりと時間をかけて、こうした中国系移民にその地で家庭を築くことを奨励し、自分たちの文化を子どもたちに受け継がせる。ゆくゆくはそうした子どもたちに、政治家への道に挑戦させたり、ビジネス界でトップクラスの仕事を引き受けさせたりする。この第二世代は、後の第三世代や第四世
代と同じく、その国の文化を形成し、政府を改善し、中国の成功の歴史的なパターンを輸入して、国の産業を、世界的に見てそこそこのものではなく申し分のないものにするのに貢献する。もちろん社会的対立もあるだろうし、民族的反発もあるだろうし、人種的な暴力も起こるかもしれない――だが、
政府の政策には何の保証もないけれど、中国出身の人々を受け入れるという政策には力強い実績、最善とも言える実績があるのだ。
それに、親中国移民政策がこの三つの国を50年以内にシンガポールと同じくらい豊かな国にすることはないかもしれないが、それでも、こうした政策は現状を大きく改善するだろう。
なぜか? 海外からの移民はかなりの程度まで文化の移植を生み出し、移住先の地を移住元の地と良く似たものにするからだ。そして良くも悪しくも、これらの文化移植が国の未来の繁栄を形成するからである。
第1章 同化という神話
想像してみてほしい。世界で最も豊かな国の一つであり、競争市場、軽度な政府規制、比較的有能で古典的リベラルな政権を誇る国。確かに重大な犯罪や貧困地域などの欠点はあるが、空想の国ではない現実に存在する他の国に比べると明らかに成功している。この国の豊かさを報じるニュースは、遠く離れた国から何百万人もの移民を引きつける――そしてこの成功した国の資本主義者は、国の経済をより迅速に成長させる低賃金労働者である移民を歓迎する。
貧しい国から豊かな国へやって来る移民は仲良く暮らすためにその国へ迎合していくだろう、と考える人もいるかもしれない――この豊かな国を改革しようと、政治的・経済的変化を要求するようなことはしないだろう、と。この国の経済がうまくいっていれば、結局のところ、新しく入ってきた人たちはその体制をそのままの形で運営させておくべきなのだ。ほとんどの国はもっと酷い状態なのだから。
ところがそうではない。移民、または少なくとも政治的に組織化された大規模な移民の一部は、母国の思想、母国で支持されていなかった思想を持ち込む。社会主義、無政府主義、強力な労働組合、マルクス主義のいろいろな要素―彼らはこうした、そもそも地図にも載っていないような思想やその他のものを新天地に持ち込む。移民は新しい経済イデオロギーを輸入するのだ。
しかもこの新天地は多かれ少なかれ民主主義なので、政治家は有権者の声に応える。最初は狭い歩幅で一歩ずつ前進するのだが、それでは移民活動家や彼らがその大義に改宗させた人たちを喜ばせるには十分でない。そして活動家が社会主義をさらに強く推進するにつれて、エリートたちは反発し始
め、軍隊まで引き入れて伝統の側に立とうとする。しかし軍のリーダーたちは分裂している―彼らの中には、社会主義活動家は良い点をたくさん指摘している、または少なくとも社会主義活動家というのは自分たちの目的のために選んだ一つの運動だと考える人もいる。
そして中流階級(専門職や専門者に近い人、すなわちホワイトカラーの労働者)は、この中のどの立場に立っているだろうか? これはかなりの規模の中流階級がいる国であり、おそらくこんにちの基準からすれば人口の約3分の1が中流階級だ。彼らは伝統ある市場フレンドリーなシステムの支持者として出発した。しかし社会主義者は数多くの高給取りのお役所仕事、つまり安定した仕事を約束し、それが彼らにとっては大きな魅力となった。さらに社会主義者は強い社会的安全網も約束した。それは、失業や病気が永久的な貧困につながるのではないかという不安を常に抱えている中産階級にとって慰めとなる。中流階級は長い間右派を支持してきたが、左派の方へ引き寄せられている。彼らは今や、勝敗を決する票を握っている。
最終的には、融合主義の指導者が権力を握る。そして、左派の本質と右派の虚飾の一部を融合させるのだ。この指導者はエリートへの高額課税を推し進め、経済に対する政府の規制を強化し、より高額な政府支出を推進する。彼の妻は自分の力で名を馳せ、慈善組織を設立し、福祉国家への道を切り
開く。この融合主義の指導者が現れる前、この国には他にも数人の指導者がいて、その後もまた、それぞれの物語を持つ別の指導者が続いていくのだが、遠くから見れば全員、この指導者とほぼ変わりはない。こうした指導者らは穏健な社会主義を提供し、中流階級から十分な支持を得て、合理的で公
正な多くの選挙で勝利する。そしてこの国は、世界で最も豊かな国の一つから、インドネシアやパラグアイやエジプトよりも少し裕福というだけの、世界の中堅国の一つにすぎない国へと変化し、再び目立つ存在になることはなく、再び他の国が見習おうとするような模範となることもなく、また、世
界中の移民を引きつける磁石のような存在になることもない。魔法が解けると移民の波も消えていった。
続きは本書にて――
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