私が娘に「100点なんて目指さないでいい」と言った理由

本も無事に出版され、さらに以下のコラムの(ほぼ)全文がプレジデントオンラインに再掲されましたので、そちらをご覧下さい。

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以下は7月にディスカヴァー21から出版予定の書籍のコラムの冒頭部分です。全部公開すると出版社様に迷惑がかかってしまうので、本当に冒頭だけ。なんで先行公開させて頂いたかというと、ネット上で「大学は知識を吸収するところである。知識はネットで吸収できる。だから大学はもういらない」という記事を見たからです。これはちゃんと反論しないとダメだよねってことで、Twitterでつぶやいたら少し反響があったので、私の考えの背後にあったこの記事をチラ見せです!

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(この直前に社会学者の橋爪大三郎先生との対談しています。それをうけて) 

対談の最後にでてきた話題ですが、この点についての私の考えを膨らませて本書の締めとしたいと思います。まず、私が娘に「100点なんて目指さないでいい」と言ったのは実話で、娘は当時小学校二年生でした。年度末の漢字テストで90点以下は再テスト、というような場面だったと思います。「100点とるために頑張る!」と言った娘のことばに思わず反応してしまったのです。
 
改めて考え直してみますと、この私の発言の背後には、最近感じている複数の問題意識がありました。まず一つ目ですが、これは対談で橋爪先生もおっしゃっていた通り、私たち人間が今、本当に考えなければならないのは、正答がまだみつかっていない問題、それに、そもそも正しい答えが一つになど定まらない問題です。研究者にとってはそのような問題について考えることこそが仕事ですし、一般の人たちにとっては現代社会が向き合っている環境問題などが良い例だと思います。にもかかわらず、学校教育では答えがある問題に対してその正答を見つける、ということが重視されているという違和感でした。高校までそのような教育がなされているからでしょうか、はたまた点数を取るということが最大の目的になっている大学受験の弊害でしょうか、大学で「答えがない問題を考えてみましょう」と問うととまどう学生がいる印象を受けるのです。

ここで私と娘の会話に話を戻しますと、100点が取れる問題というのは、他人が用意した答えがすでにある問題です。「勉強=正解にたどりつく=点数が大事」という誤解を子どもの頃からすり込んでしまうのは良くないと思っていたことが例の発言の背後にあると思います。
 
二つ目の問題意識は、今の世の中、何でもかんでも短期的な成果が求められているような気がするのです。何かをやったら、目に見える成果がすぐに出てこなければ評価されない。

……(続きはディスカヴァー21の書籍で!)

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