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ところで平凡な俺よ 下を向いている暇はあるのか

みなさん、こんにちは。2年の安倍です。

私事ではございますが、先日成人式が執り行われ、ついに成人いたしました。あのあべりくがもうハタチです。時の流れは早いものですね。

成人式や同窓会で旧友たちと再会した時に、「あべりくが箱根駅伝に出れるの楽しみにしてる!」なんて嬉しい言葉をたくさん頂戴いたしました。卒業して長い時間が経った今でも、ここまで応援してくれる人がいることを実感しました。そんなたくさんの期待に応えるためにも、また1段ギアを上げて競技に取り組んでいくので、来年まで待っててね。


1月3日、箱根駅伝。元部屋長の貝川さんが10区で出走いたしました。補助員が終わった後、ダッシュで大手町に駆け込みましたが、選手たちを出迎える観衆や応援団の雰囲気に圧倒され、自分もこの舞台を走りたいという気持ちがより一層強まりました。

その中で、1番堂々とした走りで帰ってきたのが貝川さんでした。彼の頑張りを1番近くでこの1年見てきたからこそ、感動する走りでした。16年間本当にお疲れ様でした。

というわけで、そんな貝川さんを見ての自分の決意表明といいますか、予選会後の取り組みの変化を今日は書いていきたいと思います。相変わらず少々長くなってしまいましたが、お付き合いいただければ幸いです。

10区を快走する貝川さんと給水のえーき


「貝川を10人」

もうここまでのブログでほとんどのメンバーが言及している通り、10月15日の箱根駅伝予選会にて慶應義塾大学は26位と本選出場への切符をつかみ取るどころかかすりもせずに敗退しました。

走ったメンバー、応援に回ったメンバー、サポートに回ってくれたマネージャー、トレーナー陣、各々思うことが違うでしょうが、自分はシンプルに悔しい気持ちでいっぱいでした。練習での走りと本番での情けない走りとのギャップ、作戦通りに走れない自分に絶望し、レースが終わった直後、目の前が真っ暗になりました。関東学連による順位発表も、どこか他人事のようで自分の耳には全く入ってきませんでした。

そんなからっぽになった自分は、保科さんのある言葉で現実に引き戻されます。

「貝川が11番手で学連選抜に選ばれそうだ」

お恥ずかしながら、この言葉で初めて他のメンバーのレース状況を知りました。ご存じの方も多いと思いますが、本選出場校以外のメンバーで成績上位であれば、関東学生連合チームとして箱根駅伝に出場することができます。

貝川さんの努力は部屋子として一番身近で見てきたし、それが実を結んだことに、自分のことではないけれど安堵しました。

保科さんはこう続けました。

「貝川を10人作れば、箱根駅伝に出れる」

貝川さんの出身高校は都大路に出場したわけでもありません。インターハイに出場したわけでもありません。決して強豪校とは言えない環境から慶應にやってきて、4年間絶え間ない努力を積んで大成したのが"貝川裕亮"という選手だと保科さんは選手に伝えました。

努力をすれば箱根駅伝に出られる。

この事実を、貝川さんは最後の予選会で僕らに証明して見せたのだと感じました。

ただ、ここで自分の中で一つの疑念が浮かびました。

では、何で今年は"貝川"がいなかったのだろうと。

失礼ながら、貝川さんと同レベル、またはそれ以上の練習ができていた選手は少なくとも5人はいたと記憶しています。しかし、ふたを開けてみれば、予選会で快走し、他校の選手と互角以上に渡り合えた選手は田島と貝川さんの2人しかいませんでした。

「努力だけでは箱根駅伝には届かないのではないか」

保科さんの発した言葉の意図とは裏腹に、このような思いをもったまま、自分は駐屯地を後にしました。

出走前のぼくとたぐち

練習はいいんですけどね

嬉しいことに、たくさんのOBさんが長距離ブロックを気にかけてくださる関係で、よくOBさんとお話しする機会があります。その会話の中で必ずと言ってもいいほどこのような質問をされます。

「最近、チームの調子はどう?」

チーム状況はその時々で変わるのですが、自分は毎回この枕詞をつけて返します。

「練習はいいんですけどね…」

虚勢を張るわけでも、親バカ的な感情でもなく、慶應の練習のレベルは以前よりは格段に上がっていると自負しております。練習内容だけ見れば上位8人は29分台、遅くとも30分一桁では走れるだろうと。

しかし、試合になると途端に雲行きが怪しくなります。練習では軽々こなせていたペースでレースを展開していても、急にフォームは崩れ、そのままずるずると集団の後方に下がっていきます。その事実は選手自身も自覚していて、練習日誌代わりになっているスプシにもこのような記入が多く見られます。

「練習ではできていたことが…」

ここで重要なのは、練習ではできているということです。では何が僕らの足枷になっているのでしょう。

僕らの足枷

このブログを執筆するにあたり、自分の中で色々考えた結果、我々には箱根駅伝に出場するというビジョンが不足しているのではないかという仮説が浮かびました。

我らが慶應はもう30年も箱根駅伝の本選から退いており、当然チームで箱根駅伝に出た経験者は今のチームにはいません。つまり、今の慶應には箱根駅伝に出る攻略法が存在しないのです。何を当たり前のことをと思う人もいるかもしれませんが、我々選手にとってこれが大きく足を引っ張っているのだと思います。

この事実は時として選手に牙を剥き、選手にこう錯覚させます。

「練習ができたところで本当に速くなるのだろうか」

「このまま続けたら本当に箱根駅伝に出れるのだろうか」

この疑念が選手の自信を削ぎ、試合でのパフォーマンスに影響を及ぼしていると考えました。

「信じる」力

予選会当日、「10位 国士舘大学」と放送があった時、貝川さんはその場で泣き崩れました。今思い返してみれば、この人は今まで本気で自分が、そして慶應が箱根駅伝に出れると信じ続けて、ここまで走り抜けてきたからこそ誰も涙を流さなかった、いや流せなかったあの状況で本気で悔しがれたのだと思います。

自分を、そして今までの取り組みを「信じる」力

これが貝川さんを"貝川裕亮"たらしめている要因だと僕は思います。

俺にしかできねェこと

今までの自分の仮説が正しければ、自分を信じて練習し続ければ、慶應は試合で結果が出せるということになります。しかし、じゃあ自分を信じて練習しよう!といってすぐに実践ができれば、おそらく我々はここまで苦しい状況にないでしょう。

では自分がチームのためにできることは何だろう。

自分の中で、『チームのみんなが「信じる」のに必要なハードルを下げる』という結論が出ました。もっと具体的に言うと、慶應の練習できっちりと自分が結果を出すということです。

結果が思うように出ていない状況で、自分のことを、そして自分の今までの取り組みを信じ抜くというのは想像以上に困難なことだと思います。であれば、自分が同様の取り組みで結果を出し、チームの「安心感」、「指針」に成り代われば、

「自分もここで踏ん張れば、あのレベルまで競技力を上げられる!」

と、「信じる」根拠になりえると考えたからです。

チームを強くするなら、まず個から

この理念のもと、予選会後は自分なりに陸上競技に向き合ってきました。

待望の塾新記録

ある意味チームの状況を気にしないで、自分の走力の向上のみを重点に置いて走り続けた予選会後の2ヶ月間。予選会で見せた走りからは想像できないくらい状態はみるみるうちに改善していきました。

そして、来たる12月24日法政大学記録会にて、29'07"39。

ついに、前々駅伝主将である杉浦さんの持っていた塾記録を更新することができました。

箱根駅伝プロジェクトの1期生である、花の「光作」世代。全員が本気で箱根駅伝出場を目指し、我々を引っ張ってくれた偉大な先輩方の記録を更新できたこと。自分にとって大きな意味のある喜ばしい記録になりました。

しかし、この記録は他大学のエースと比較すると平凡もいいところです。記録のインフレが進行し、28分台も珍しくなくなった今日この頃、自分はまだまだ他大学の選手とは戦えるラインにはいないでしょう。

この記録に満足することなく、まずは冬で土台作りをしっかりやりきって、慶應でも結果が出せるんだぞということを証明できるような選手になって、また皆様に試合結果を報告できればと考えておりますので、どうぞお楽しみに。

ぼくとたじま

次は尼子です。
同窓会でちやほやされたらしく、集合写真ではセンターを飾っておりました。うらやましい限りです。

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