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慶應義塾大学で箱根駅伝を目指す

慶應箱根駅伝プロジェクトとの出会い

『【箱根駅伝】慶大、復活に向け新体制!新監督に日体大OB保科氏招へい』

2017年1月、河合塾横浜校で冬期講習を受けていたときにこのニュースを見た時の衝撃は今でも忘れられません。
当時の僕は東大合格を志していた高校2年生。慶應は第2志望校でした。もしも東大がダメだったときにしょうがなく行く大学。しかし、このニュースを見た時「慶應に行ったら本気で箱根駅伝を目指せるのか」とワクワクしました。

そんなニュースを見た1カ月後、なんとその保科さんが僕の母校である逗子開成高校を訪れてくれました。後から聞いた話によると、逗子開成→慶應競走部のOBの方が保科さんに逗子開成と僕のことを紹介してくださったらしく、それが保科さんにとって初の高校訪問だったそうです。つまり、僕は保科さんが慶應箱根駅伝プロジェクトとして初めてスカウトに行った選手ということになります(のはず!)。そんな僕がこうして本当に慶應に入って箱根駅伝を目指していることに、何だか運命のようなものを感じてしまいます。
まあ、当時はそのような裏事情を知ることもなく、ただただ緊張して保科さんの目の前で練習をこなしました。そして、今度はその1カ月後に慶應に出向いて練習参加することになりました。

そして慶應での練習。メニューは16000m+1000×2。Aチームは16000mのペースが3‘20/km。正直速いなと感じましたが、ここで頑張れば保科さんに声をかけてもらえるかなと思ってAに挑戦しました。結果はペース走は完走、しかし脚を使い切ってしまい1000mはリタイア。それでも目標通り保科さんに声をかけてもらうことには成功。直接誘っていただいて慶應に行ってみたいという思いは段々と強くなっていきました。(ちなみに帰宅後体温が38度を超えていました。インフルでした。)

その後も、県総体、日体大記録会、県駅伝などで出会う度に声を掛けて頂きました。そして、受験の結果は皆さんご存知の通り、東大不合格。それでもここまでの文章から伝わると思いますが、第一志望校に落ちたというのに僕に悲壮感のようなものは全くなく、笑顔で慶應に進学し箱根駅伝を目指すこととなりました。

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若き日の僕たち

慶應という最高の環境

慶應競走部に入部して4年目、このタイミングで慶應という環境について振り返ってみると非常に恵まれた環境だったなというのが感想です。恵まれた環境といっても物質的にではありません。自分を成長させてくれる場としてです。その要因は3つあると考えています。
1つ目は、僕たちが強化1期生「花の光作世代」だったことです。1年生の頃からチームの主軸は僕たち1期生。今でこそ選抜合宿や予選会の選考は激しくなりましたが、当時は選抜合宿に当然のように1年生全員が選ばれ、予選会のエントリーも半数を1年生が占めていました。また、僕個人としてはホクレンディスタンスにもPB14‘54だった1年生の頃から出場させてもらいました。今だったら不可能ですが、僕たちが1期生だったから他の強豪校ではあり得ないような濃い経験と沢山の成長のチャンスを与えて頂きました。

2つ目は、慶應の歴史が浅かったことです。3年前のチームはまだ箱根駅伝に出場すると宣言することすらおこがましいようなチーム状況でした。木曜日の朝練は誰が一番早く寮まで帰って来られるか競走していたような始末です。でもそれは、チームとしてもっと強くなれる改善点が沢山あったと言い換えることができます。そのような改善点に僕たちは気づいて、考えて、話し合って、幾つも変えてきました。このような作業を行ううちに思考力や言語化能力など様々な能力が鍛えられた気がします。既に体制が確立されているチームでは果たせない成長だと思います。

3つ目は、慶應のみんなが賢いことです。これは単純な話ですが、陸上でも勉強でもレベルの高い集団にいれば自然と自分も引っ張られます。慶應生は賢いというイメージを持たれるかと思いますが、実際に接してみると本当に賢いなと思います。普段奇怪な行動をしている内藤くんも、ちょっと日本語に難ありの森田くんも、ちゃんと話してみると普通に賢いなと感じます。本当です。いや、本当です。そんな彼らと共に箱根駅伝出場という目標に向かって努力している一日一日が自然と僕を成長させてくれます。

ただ脚が速くなるだけならどこの大学でもいいと思います。しかし、ちゃんと走力を向上させつつ、他の大事な能力も高めてくれるのは慶応義塾大学だけだと胸を張って言えます!
(あ、ちゃんと走力向上の観点からも慶應は素晴らしい大学だと思いますよ。保科・小野体制が機能しています)

原点

このように4年目ともなると慶應で箱根を目指すことの良い点も、逆に良くない点も様々見えてきます。もっと考察を深めることもできます。ただ、入部した当時の慶應で箱根を目指すことへの想い、つまり原動力はもっとシンプルでもっと力強いものだったはず。このタイミングであえてそれに立ち返ります。

僕にとっての原動力は
「受験を突破して集った雑草軍団でスポ薦集団の強豪校に勝ちたい」
という想いです。

だってかっこよくないですか?聞いたこともない高校から集った無名の選手たちが陸上エリートたちに打ち勝って箱根駅伝への切符を手にするのです。当時の僕は非常にワクワクしました。

実際入学してみると1人インターハイ入賞者はいたものの、あとはみんな15分前後。本当に雑草集団。強化校には到底太刀打ちできません。

箱根駅伝に出場するための道のりとして慶應は明らかに遠回りです。1年目の予選会は26位。厳しい現実を突きつけられました。

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コーチのペース設定をガン無視して爆走する僕

それでも僕たちは一歩一歩前進し続けて、ついに昨年度の予選会では19位、そして今年度の10000m上位10名平均では14位までやってきました。これってすごくないですか?

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入学当初は無謀にも思えた「受験を突破して集った雑草軍団でスポ薦だらけの強豪校に勝ちたい」という僕の想い。今やもうすぐ実現するのではないかというところまで来ています。

僕も「感謝」とか言う人間になってしまいました

最後のブログ、どのように締めようか考えました。結果やっぱり多くの人への感謝に行きついてしまいます。何だかくさくてありきたりな言葉だなと思っていましたが、最後は言っておかないとだめですね。

この4年間、本当に多くの方々に支えて頂きました。僕は、支えてくれる人の姿は自分が苦しんでいる時に一番鮮明に現れると感じています。怪我が長引いてメンタル大爆発していたあの時、沢山の人が僕の部屋に集まって慰めてくれたあの夜を僕は忘れません。
チームメイト、コーチ、マネトレの皆様、その他数多くの関係者の皆様、長い間本当にありがとうございました。予選会での僕の走り、しっかり見ていてください!感謝、ファイト!

あと、何より一番感謝しなきゃいけないのは4年生のみんなです。途中でいなくなってしまった2人も含めて、僕はこの代が好きでした。みんながいなければ僕はここまで来られませんでした。ありがとう!

大河はこの間ついに14分台を出してくれました。おめでとう!予選会に向けてエールを貰いました。他の4年生はみんな予選会メンバーにエントリーされています。最後の戦い(本戦入れて最後から2番目にしたい!)はみんな出走して、みんな会心の走りができればいいなと思います。

慶應義塾大学で箱根駅伝に出る

一期生とは普通、強いチームの土台作りが求められると思います。そして、多分その役割は果たせました。しかし、本当に作りたいのは土台ではありません。箱根駅伝出場という「歴史」です。4年生のみんな、力を合わせて土台じゃなくて歴史を作ろう!

次は鈴木くんを飛ばして内藤くんです。鈴木くんは最後の最後まで研究室で忙しいらしいです。頑張れ。

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