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「◯◯になる」 新入生紹介⑤ 弓田一徹

初めまして。山内さんから引き継ぎました長距離ブロック1年の弓田一徹です。5番目ということで、すでに投稿されている4人のnoteを読んでから書いていますが、4人とも性格をそのまま投影したかのような文章構成で読んでいて面白かったです。
このnoteは応援してくださっている方々や未来の新入生など、外部の方に慶應長距離を知ってもらういいチャンスだと思っているので、できるだけ印象に残るような文章を書いていきたいと思っています。


1.自己紹介

名前:弓田 一徹(ユミタ イッテツ)
学部:環境情報学部
生年月日:2005年9月28日
出身高校:法政大学第二高等学校
出身:神奈川県綾瀬市
PB:5000m 14′53″53  10000m 30′23″43

2.試合振り返り

まずはもうデビュー戦を終えているのでその振り返りから。
上のPBですが、どちらも大学入学後にそれぞれ日体大競技会、慶大競技会で更新することができました。慶大競技会では初めての10000mで不安もありましたが、色々な人から名前を呼ばれ応援されたのでキツかったけれど思っていたよりも楽しく走ることができました。正直どちらももっと良いタイムで行けると思っていましたが、中々条件が噛み合わず大爆発とは行かず。ただ継続して練習はできているので、もっと速く強くなり1年目から活躍できるよう頑張ります!

日体では頑張って先頭を走りました(すぐタレたけど)

3.陸上経歴

陸上は中学の時に始めました。小学生の頃は割としっかり水泳をやっていましたが、中学に水泳部が無く、小6の時に市内の学校対抗の陸上大会で1000mに出た際に2位だったこともあり、陸上部に入部しました。その後中学では800~3000mまで幅広くやりましたが、長い距離はキツくて嫌だったので800と1500をメインでやっていました。3年生の時にはコロナ禍に入り、県大会より上の大会が開催されなくなってしまいましたが、その1発限りの県大会で1500mで県2位を取ることができました。そこで事前から興味があり、運よく声をかけていただいた法政二高に入学を決めました。しかし高校では中学の頃と違い苦汁をなめることになります。
中学の時には人数が少ない部活だったのもあり、適切な練習量を維持することができていましたが高校では練習の量も質も急激に上がり怪我ばかりするようになってしまいました。ランナーにありがちな怪我はほぼ全て経験したと思います。スピード練習で怪我が多かったので高2から5000mに転向し、ある程度走れるようになったものの、怪我の連続により思うように練習ができず、高校入学前に余裕だと思っていた関東大会出場すらあと1歩のところで叶わずに3年間が終わってしまいました。この転落が、大学でも競技継続をする決断のきっかけになったと思います。

4.なぜ、慶應なのか

ここまではまあ良くある話かなと思うのですが、本題はここからです。僕の出身高校は現在連続で箱根駅伝のシード権を獲得している法政大学の附属校です。箱根駅伝に出ることを目標にするならば、きっとそのまま附属進学をして競技継続をした方が慶應で予選会から箱根を目指すよりは楽に達成できると思います。それでもわざわざAO受験をしてまで慶應を目指した理由は、タイトルでは伏せ字にしてしまいましたが「英雄になる」ためです。お前は何を言っているんだと思われたかもしれませんが、僕は2年前の予選会で立教大学が55年ぶりに出場を決めた際に、「自分も同じぐらいすごいことを成し遂げたい」と強く思いました。確かに法政大学で箱根駅伝に出場することもすごいことですが、この30数年箱根駅伝に出場できていない慶應大学で箱根駅伝に出る、ということにはものすごく大きな意味があると思います。僕はこの4年間誰よりも努力し、慶應が箱根に出るための立役者となることで、このnoteを読んでくださっている方にとっての「英雄」になれるよう頑張りますので、応援していただけると幸いです。

最後まで読んでくださりありがとうございました。
次回は110代新入生自己紹介のラストを飾ります長距離マネージャーの湯山真唯さんです!まいさんという名前のマネージャは4年生にもいらっしゃるので、いまだに呼び方が定まっておらず、そろそろ決めたいと思っています。それではよろしく!



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