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万聞は一走にしかず。

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レース当日は朝6時に起床。ベルギーではこの日からサマータイムが導入されたので前日から考えると実質5時起き。レースがローリングも含めると190kmの長丁場なので朝からしっかり炭水化物でエネルギーを摂取していく。パスタ、ベーコンエッグチーズサンド、オートミールを腹八分目まで。

ミューズリー?

まだ1週間程度しか居てないので日本食が恋しくなってたりはしない。むしろこちらの食事を楽しめてる感じ。朝食後、宿からスタート地点まで車で移動。タケハルに影響されてすっかりハマってしまった逃避行を聞きながらゼッケンをつける。

さすがネイションズカップともあってゼッケンが高級で感動する。これもこれまでのゼッケンと共に保存する予定。

ゼッケンは50番。キリが良くて良い数字。

会場に近づくにつれて霧が出てきて緊張し始める。普段「レースは練習でやっていることをやるだけ」と思っているのであまり緊張しないのだけど、さすがに今回ばかりは緊張した。

なぜなら欧州で走った事のある選手がよく言う日本のレースとは別物、という言葉やこれまでの日本人選手の成績からして普段やっていることが本当に正しくて本当に通用するのか全くわからなかったから。コンディションが万全ならもう少し違っていたかもしれないが、ワクチン副作用に加えて富士クリテでの落車により2週間満足に自転車に乗れていない状態で世界最高峰のレースに挑むのはただ不安で怖かった。

でもこのレースに向けて昨年のオフ後から4ヶ月も準備して来た。その過程で何度も苦しい思いをしたし、犠牲も払って来た。神宮の4連覇に向けて調整することもしなかったし、学部の友達とのスノボも断った。2ヶ月以上ある春休みの全てをこのレースのために費やして来た。そんな事、と言われるかもしれないけど私も1人の大学生なんです。周りがしている事を同じようにしたかったが、全て我慢してこのレースに向けて調整して来た。

だが、そのレース目前で大会参加に必要なワクチン接種による副作用でコンディションは悪化ら追い打ちをかけるように富士クリテで落車。積み上げて来たものが全て崩れ落ちてしまったようで正直心が折れかけたけど、やって来た事を無駄にしないためにも今できるベストを尽くそうと思った。

会場には8時半に到着。コンタクト初心者なので宿でつけられなくて一度は諦めたが、このレースでは絶対にコンタクトがあった方が良い気がして気合いでつけてローラーで軽めにアップ。(レースでしかつけないので永遠につけるのが上手くならない。)

福田選手の🤙
このポーズを慶應ではピュイと呼んでいます

9:22からチームプレゼンテーションへ。

📸Flore

スタートは10時から。遠征中、ずっと晴れだったのにこの日だけ天気が悪くて寒く早く走り出したかった。このスタートを待つまでの間、周りを見渡すと見たことのあるバイクばかりだし、みんな背が高くて脚が長くてプロさながら。というかUNOXだとかAlpecinだとかプロもいて、そこに自分がいる事に感動。

ニュートラルがスタートするとそこから「やべぇ」と感じる集団の密度。全然前に行けない、というまでではないのだけど、一列ずつ徐々にしか上がれないし強豪国が先頭に固まっているので20番目くらいまでで限界が来る。

富士クリテで愛三の渡邊歩選手に欧州レースの事を聞いたら「自分の前の選手の左と右のどちらかにホイールを差し込んで、少しでも隙間が空いたら前に上がるのを繰り返す選択ゲーム」と教えて下さったのだけど、まさにその通りだった。一歩ずつしか上がれない割にコーナーとかでミスると一気に番手を下げてしまって一からやり直しになるクソゲー。

10㎞地点でリアルスタートとなり最初の一時間は道が狭く、また横風に備えて各チームの位置取りが激しかった事で速いペースが続きナーバスだっだが風が想定より弱かったこと、序盤に逃げが決まった事もあり横風区間で集団が分断されることはなく集団は落ち着きそのまま勝負所までほぼゆっくりと進行する事となった。GENTの中ではかなり緩いレース展開だったそう。途中でトイレ休憩もできたくらいである(置いてけぼりになるのが怖くてめっちゃ強そうなイタリアの選手と連れションさせてもらった。)

しかし、緩いとは言っても石畳区間や横風区間で頻繁に集団に緊張が走り、ペースが上がる事も多かった。オランダにエシュロンを組まれた時は風上に居てしまってもろ風邪を受けることとなった。ペースがそこまで速くなかったから助かったけど、もう少しでも風が強かったらそのまま分断されていたと思う。

また中央分離帯などの注意喚起をするホイッスルが頻繁にあって背の高い選手たちの後ろでなにも見えずに50km/hで突っ込んでいくのは本当に怖かった。こんな事をしているから日常生活で刺激を感じられないのだろう。

だが、こちらの選手は本当に走るのが上手でタイヤがスリップしている音がしていつもならガッシャン!というところまでがお決まりなのにこちらではそうではないらしい。学連にいるとスリップ音とガッシャンは係結びだと思ってしまうが、やはりその辺の文化も異なるようだ。

レース中はとにかくコケないように集団にいるのに必死で前にはほとんど上がれなかったが、できるだけ津田とトドメの2人の近くにいてトラブルに対応できるように心掛けた。

その後は所々、石畳区間や横風区間でペースアップがあるものの集団は一つで距離を消化し、脚勝負となってくる区間の始まりである最初の登り、Banebergへ。最初の位置取りはそこそこ良かったのだが、登りの中腹で落車に足止めを食らってそれを埋めるのに脚を使ってしまった。でも集団はそんなに速くなくて二段になっている一段目が3:51 374w、グラベルになっている二段目が速くて1:03 394w。しかし登り切って一息つけると思いきや、下りが鬼速くて集団を一列棒状になり中切れするところだった。

そういう訳でほぼここで一度足を使い切った状態ですぐにkemmelbergへ。石畳の始まる手前までがmontberg(1.46㎞ ave4.1%)でそこで前に上がりたかったものの強豪国が前を固めた集団で位置を上げるのは難しく、また一度使い切った脚ではあまり早くないペース(3:08 368w)とはいえ苦しくてその余裕はなかった。

そしてkemmelbergに突入するというタイミングで入り口を塞ぐように落車が発生し、思いっきり足止めを食らう。脚は付かなかったものの、10秒程度(体感的にはもっと長かった)止まっていたので先頭集団とは大きなギャップが生まれてしまった。登り区間内で追いつこうと全力でプッシュするものの、慣れない石畳という事もあり、その差は縮まらない。そのまま下りでも追いつけず、平坦区間に入ってからは人数差もあり、むしろ離されて第三集団で完走を目指してローテーションをするも、150㎞地点でコミッサールにレースを降ろされた。

第3集団には福田さん、たくみ、タケハルもいたが、福田さんは外人選手3名と一緒にそのまま淡々と踏んで行き、私ら3人は流して帰る事にした。だが、その結果福田さんを含む4人までが完走扱いとなった。そういう事が欧州では良くあるらしくそれを知らなかったが故に犯してしまった過ちである。

諦めていなければ歴史あるレースのリザルトに名前が残っていたと思うと悔しいが、踏んでいけなかったのはそれだけ身体も疲弊していたという事だし、身体が弱ければ心も弱くなってしまうのは仕方のない事だろう。だが、それも含めてこれが今の自分の実力なのだろう。

前述したようにこのレースに向けて12月からずっと努力してきた。去年、一度自転車をやめかけて自転車のために他の何かを犠牲にするのはやめる、と決めたはずなのに多くのものを犠牲にして時間も労力も割いてきた。だが、直前でワクチンの副作用に加えて落車で傷を負ってもうダメかと思ったが、100とまでは行かずともうまく調整する事ができた。その上で初めての欧州レース、しかもネイションズカップで落車もなく完走まであと一歩、というところまで走る事ができた。そんな低いレベルの話をするな、と言われたらすみませんとしか言えないけれど、確実に私にとっては大きな収穫でかけがえのない経験になった。

しかし、叶う事なら万全な状態で挑んでみたかった。だから私はまたここに戻って来たいと思う。今回得られた色々な思いと経験を糧に必ずや成長してみせる。

一緒に戦ってくれたJAPANチーム、ご支援をいただいた慶應OB会、機材を準備して下さったスポンサー、サプライヤーの皆さま、那須ブラーゼン、そしていつも関わってくれている方々。本当にありがとうございました。

そしてここまでお付き合いいただいた皆様にはお土産に現地の写真を。最後の一枚がおすすめです。


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