見出し画像

お別れブログ 長谷川来夢さん

3年マネージャーの内藤です。
お別れブログということで、僭越ながら“長谷川来夢”について書かせていただきます。
らいむさんについて書くならば、2つの大きな「長」であったこと、その功績については書かねばなりません。
4号部屋のベッドの下にペットボトルをたくさん溜めていただとか、後輩のベッドになだれ込んでファブリーズされていただとか、艇庫飯を姑息な手を使って食べようとしていただとか、最後の1ヶ月独特な匂いがすると言われていただとか、私の式典ポロを行方不明にさせただとか、そういうことも書いた方がいいのかもしれませんが、一旦置いておきます。

一、学連の長である。
らいむさんといえば学連、学連といえばらいむさん。
ラストシーズンはまさにそんな感じでした。
大会が近づくにつれて、ミーツに、書類に、采配に、とその激務ぶりが窺えました。
当日は人手が足りないと頼みに来たり、学連タワーでトラブルに襲われていたり、日が沈むまでステッキボードに悩まされていたり。
とにかく大変そうでした。
多くの学連員は練習後に準備をしたり、自分の競技の合間を縫って大会運営に尽力したり、とどうしても鬱屈してしまうような状態だったと思います。
そのトップともなれば苦労は並大抵ではなかったはずです。封筒一緒に書いたり掃除の時に話を聞いたりして、競技や就活と両立しているのは素直にすごいな、と思っていました。
自分がいくら疲れていても、私や竹田に水路要請するときはこちらの事情を気にして最大限配慮をしてくれるのも、ありがたかったです。
本当にお疲れ様でした。

学連。お疲れ様でした!

二、外回りの長である。
らいむさんと私が一番関わって仲良く(?)なった場所、“外回り”掃除です。端艇部には、1年生のうちは全ての掃除場所をローテーションで回り、2年生になると希望を出して各掃除場所に配属される、という文化があります。ほぼ毎日夜の15分間を共に過ごすので、掃除場所は結構大事です。私は外回り掃除に希望を出し、対抗もいなかったのでそのまま配属されました。その時のメンバーは、まなみさん(当時4年マネ)と、当時3年だったらいむさんです。それまでらいむさんとは多分そこまで親しくなく、多分そんなに関わりがありませんでした。忘れてるだけだったらごめんなさい。でも掃除の時間を経て、仲良くなれましたね。掃除のコツといって創意工夫をしたり、まなみさんのスベッているギャグを見たり、自転車を片付けたり。特に夏は缶詰だったので思い出深いです。

最初の年。

そして1年後、10を超える掃除場所に対して1個下は4人。まさか外回りが新人を獲得できるなんて思いもしませんでした。ようやく頑張りが認められましたね。この夏は、新たに加わったゆみと一緒になって、らいむさんを追い出しました。くまさんケーキおいしかったです。

このくまさん食べたいなあって思ってたらしい。

このように功績のあるらいむさんですが、印象としては大分庶民派(?)です。

らいむさんの周りには割と常に誰かがいました。4年生を中心に、後輩も気軽に話しかけられるような存在だったと思います。
それはひとえに、らいむさんの人間性によるものだと思います。
ずっとつかみどころのない不思議な人だなあと思っていましたが、
話すとハードルや壁がなくフランクで、
一方で練習にも地道に向かい合っている姿も印象的でした。

たまに愚痴のようなものを漏らしても変に悲観的に慰めたりするのではなくいつものようにニコニコ?ヘラヘラ?笑いながら話してくれると気が楽になったような気がしました。
学連でも委員長だからと権力を笠に着て威張り散らすのではなく、自分も手を動かして、疲れたなあとかこれ大変だなとか。同じ目線でいてくれるからついていこうと思えたのだと、ある学連員が話してくれました。

デカ、存在。

ここまでつらつらと書き連ねてきて、もうちょっと漕手としての話も聞いておきたかったなあと、プチ後悔です。
いつか話きけるといいなあと思っています。

引退おめでとうございます!
お世話になりました!

ラストシーズン見られて良かったですね

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?