異世界のすゝめ ~異世界を拡張し、ゼロ年代のその先を示すSF(セカイ系・フィクション)。また僕何かやっちゃいました?~

執筆:桶屋 閉

(序文が少々長いため、読み飛ばしていただいても構いません)
 なにか面白いことはないかなあと、涼宮ハルヒばりに退屈しているにもかかわらず、キョン以上に(主に人生への)当事者性に欠ける我々は、過酷かつ起伏のない、終わりなき日常を生きていく中で、ついつい意識を非現実の彼方へ飛ばしがちです。異世界はそんな我々の潜在的な欲望を満たす薬/毒/水となってくれるでしょう。なにも実際に転生する必要はありません、物語さえあればいいのです。物語を読んでひとまず欲望が満たされたなら、そこからなにか有意義なものが生み出される可能性がなきにしもあらず。ハルヒになることも夢じゃありません。というわけで、ここからは私の独断と偏見によって、あなたの潜在的な欲望を満たしてくれるかもしれないいくつかの作品を紹介していきます。キョン!行くわよ!!

 …………今やもう2020年代、ゼロ年代はとっくの昔に終わったというのに一体私は何をしているのか。しかし何の意味もなくこの茶番を繰り広げた訳ではないのです。この前書きは紹介文が書き終わった後に書いているのですが、振り返ってみればゼロ年代と関係するような異世界作品が多かったように思います。したがって、もう一つのテーマとしてゼロ年代と2020年代を結び付ける——ことができるかどうかはわかりませんが、そのヒントとしてこの作品紹介を読むことができるかもしれないと考え、このような導入にしたというわけです。
 長々と失礼しました、ハルヒはもうずっと先に行ってしまったようです。では気を取り直して、紹介始めさせていただきます。

目次

1、岡本倫『パラレルパラダイス』(講談社、週刊ヤングマガジンで連載中) 
2、滝本竜彦『異世界ナンパ 〜無職ひきこもりのオレがスキルを駆使して猫人間や深宇宙ドラゴンに声をかけてみました〜』(小学館、カクヨムで連載中)
3、伊藤ヒロ『異世界誕生2006』(講談社ラノベ文庫、2019年)
4、西尾維新『悲鳴伝』(講談社ノベルズ、2012年)
5、藤本タツキ『チェンソーマン』(集英社、2020年12月に第1部完結)


1、岡本倫『パラレルパラダイス』(講談社、週刊ヤングマガジンで連載中)

 トマス・モアのユートピアがユートピアでないように、オルダス・ハクスリーのすばらしい新世界がすばらしい新世界でないように、このパラレルパラダイスもまた、パラレルパラダイスではありません。そこに広がっているのは、いわゆるなろう系、ハーレム系に分類されるような物語を悪意で煮詰めてどろどろにしたような世界です。
 まさにエロ・グロ・ナンセンス。
 一見したところ非常識、非道徳的なこの世界は、無批判に、そしてぶれずに一貫した極端さでもって描かれることで、背徳的な魅力を持つと同時に、しばしば背筋が凍るような恐ろしさを我々に感じさせてくれます。
『エルフェンリート』、『極黒のブリュンヒルデ』などを手掛けた岡本倫によって、SF、ファンタジー、神話的要素がふんだんに盛り込まれ、エンターテイメントとしても非常に完成度の高い作品です。

注:性描写が少々過激なので、そういったものが苦手な人にはお勧めできません。


2、滝本竜彦『異世界ナンパ 〜無職ひきこもりのオレがスキルを駆使して猫人間や深宇宙ドラゴンに声をかけてみました〜』(小学館、カクヨムで連載中)

 作品の説明に入る前に、まずはその背景から紹介していこうと思います。
 作者の滝本竜彦は2001年に『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』でゼロ年代引きこもりのトップランナーとしてデビューを果たし、翌年の『NHKにようこそ!』で一躍有名になりました。その作風を説明することは難しいように思われます。ゼロ年代における滝本竜彦の小説には、知ったような口で語ることを我々に許さないような緊張感が確かにあるのです。それでもあえて一言で表現するならば、自虐的引きこもり的ポストモダン的私小説的ライトノベル(順不同)とでも言えるかもしれません。作品のどれも読んでも、主人公は滝本竜彦彼自身で、それはもう身を切りながら書いていることがわかります。
 その雰囲気を感じ取れる一文を、ここに引用します。

「もうここには誰もいなかった。残されているのは、おれの人生だけだった。逃げたくても逃げられない大迫力の人生苦悩が俺の眼前に広がっていた。確かにここはもう砂漠ではなかった、色鮮やかな地獄だった」(滝本竜彦『僕のエア』)

 しかし、このような執筆方法が祟ったのか、滝本竜彦は2005年に小説が書けない病にかかったとして休筆を宣言することになります。
 彼はその後長い休筆期間を経て執筆を再開することになるのですが、それ以前と以後の作品にはかなりの変化が見られます。これから紹介する『異世界ナンパ 〜無職ひきこもりのオレがスキルを駆使して猫人間や深宇宙ドラゴンに声をかけてみました〜』(以下『異世界ナンパ』)は休筆を再開してから書かれた作品です。
 このタイトルからしても彼の作風がそれまでと一変したことは説明せずともお判りいただけるでしょう。
 主人公は実家の子供部屋に住む35歳の無職引きこもりです。いままでの滝本竜彦ならば、この主人公を待ち受けるのは先の見えない巨大な人生苦悩との格闘であり、イマジナリー美少女であり、そして人生に対する明るい諦念でした。
しかし今回は違います、それらすべてを飛び越えた異世界が主人公の前に待ち受けているのです。その上、彼がこの異世界で目指すものは、何を隠そうナンパなのです。
 コツコツとコミュニケーションに役立つ『スキル』を獲得しながら、たくさんの女の子に声をかけていく主人公……。
 このあらすじを聞いて、『NHKにようこそ!』や『超人計画』に親しんできた読者は、『異世界ナンパ』が流行に乗った軽薄な小説で、過去の作品と断絶したものに見えるかもしれません(その差は旧劇場版エヴァンゲリオンとシン・エヴァンゲリオンの違いに近似できるかもと思ったりもします。前回の慶應SF研の記事を見ていただければ、シンエヴァに苦しむ部員の叫びを聞くことができるでしょう)。しかしながら、これらの作品は確かに連続したものです。『異世界ナンパ』こそ、その連続性を提示するものであり、読者は読み進めていく過程でそこに新たなコミュニケーションの地平を見出すことができるでしょう。
 その鍵となるものは、この作品が持つある種の軽薄さにあると私は考えます。
 35才無職引きこもりの主人公にとって、異世界であろうと現実世界であろうとナンパ——滝本竜彦曰く、即自的に他者とのコミュニケーションを得ようとする試み——はとてつもなく難しいもので、そのためには自己を改造し前へ進んでいく確固たる意志が要求されます。
 このように作品を通して主人公はコミュニケーションを求めて努力していくことになるのですが、この姿勢は、そもそもゼロ年代のそれとは全き別物!しかしそれを受け入れるのもまた軽薄さです。あなたの軽薄さが試されているのです。そもそも軽薄さがなければ即自的な他者とのコミュニケーションなど不可能でしょう。
 ゼロ年代から長い時代を経て、今や2020年代。あのとき示された諸問題に対する、一つの答えがこの『異世界ナンパ』で示されているのではないでしょうか。

追記:昨年11月の文学フリマ東京で『ELIETS』という合同同人誌を販売していた滝本先生に念願のサインをもらうことに成功した私は舞い上がり、その嬉しさがここにきて舞い戻り、勢いで長文を書いてしまいました。この『異世界ナンパ』での紹介文でコミュニケーションについてあれやこれや書いたにもかかわらず、現実には全くダメで、おずおずとサインをお願いすることしかできなかった私にも先生は優しく応じてくださいました。『ELIETS』には『NHKにようこそ!』の20年越しの続編である『新・NHKにようこそ!』が掲載されていて、これも非常に面白いのでおすすめです。


3、伊藤ヒロ『異世界誕生2006』(講談社ラノベ文庫、2019年)

「みなさんはご存じでしょうか?実は、昨今流行の異世界転生物のライトノベルのうち多くは、わが子を交通事故などで失った母親の手で書かれているということを……」
 これはあとがきからの抜粋ですが、まさにここに書かれている通り、『異世界誕生2006』もまた、そうなのです。すべての異世界ラノベ共通の序文として書かれたこの物語は『R.U.R.U.R』や『女騎士さん、ジャスコ行こうよ』の伊藤ヒロによって手掛けられました。
 この作品内における異世界は、2006年、ゼロ年代の真っ只中、混沌としたネットの海に存在します。
 ある日、トラックにはねられて死んでしまった無職の息子のタカシ。
 その息子が残したプロットをもとに日々小説を書き続けている母親のフミエ。
 彼女は目の前の厳しい現実に耐え切れず、現実と虚構の区別がつかなくなっていて、自分が書いている小説内の息子と会話し、死んだ息子の分の夕食を毎日用意しています。夫とは息子の死が原因で不和を起し離婚してしまいました。
 そんな状況全てにうんざりしているのが、今年で小学6年生になる娘のチカです。せめて母の痛々しい創作活動だけでもやめさせようと、兄のタカシをトラックではねた運転手の片山に相談することから話が始まります。
 この作品では、死んだ息子の遺した異世界が現実世界を呑み込んでいきます。母親はそのために現実を見失い、周囲の人間もそれに巻き込まれていくのです。しかしながら同時に、現実と折り合いをつけ、そして現実に疲弊した彼らを慰めるのもまた異世界です。
『異世界ナンパ』がゼロ年代に縛られた、もしくは現実にがんじがらめになってもがいている私たちを異世界へ導く物語であるとするならば、この『異世界誕生2006』は異世界から日常へと帰ってくるための物語といえるかもしれません。


4、西尾維新『悲鳴伝』(講談社ノベルズ、2012年)

 ゼロ年代の余韻の残る2012年に出版された、西尾維新の最長編シリーズ第一作目です。「これを読まずに西尾維新は語れない」といった売り出し文句もついているほどですが、正直最初の一作目、そして二作目にシリーズ全体のエッセンスが含まれていると言っていいでしょう。この『悲鳴伝』を通して、西尾維新の新たな側面が見えてくるかもしれません。
シリーズのあまりの長さは気にせずに、とにかくこの悲鳴伝だけでも読んでみることをお勧めします。そうはいっても悲鳴伝自体かなり長いのですが(2段組み500ページ)。その長さが気にならないほどに、ものすごい勢いで展開が二転三転していくので、何も問題はありませんね。
 さて、悲鳴伝の内容についてです。
 この作品の主人公には感情がありません。とにかく感情が無いので、なにも感じません。たとえば、ある日突然世界人口の三分の一が地球の悲鳴によって死滅したとしても何も感じません。そんなマクロスケールだけでなく、ミクロスケールでも。たとえば家族全員が死んだり、全身の骨がバキバキに折れたりしても何も感じません。その分、読んでいるこっちが悲しい気分になるのですが……。そんな自動機械のような主人公の名前は空々空(そらからくう)、十三歳の野球少年です。以上のあらすじを読んで、「あまりに中二病がすぎるよ…」「2ちゃんねるのコピペか?」「そういうのはもう卒業したんだが?」等々思うかもしれません。しかしながら、メーターぶっちぎりの中二病というのは得てしてすがすがしく感じるものです。あなたにまだ中二的想像力を愛する心が少しでも残っているのならば是非、この作品を読んで錆びついた中二エンジンをぶっぱなすのもまた一興。


5、藤本タツキ『チェンソーマン』(集英社、2020年12月に完結)

 先程の滝本竜彦の『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』からの連想、そして『異世界ナンパ』からの連想で紹介することにしました。というのも『チェンソーマン』の主人公は、ゼロ年代主人公の延長線上的側面があるように私には思えたからです。
『チェンソーマン』はジャンプ連載漫画で、アニメ化も決定している人気作なので、ここでわざわざ紹介する必要もないかもしれないと思いつつ。それでも、まだ読んでいないという人には是非お勧めしたい作品です。
 舞台は1997年の日本。いたるところで悪魔が跋扈しており、それを退治するデビルハンターなる職業が存在しています。異世界かどうかは正直ビミョーですが、この世界にはナチスも、核兵器も、そして第二次世界大戦も存在していないのでおそらく大丈夫でしょう(何が?)。
 主人公のデンジ君は、死んだ父親の借金返済に追われ、かなり苦しい生活を強いられています。片目、そして方腎臓は借金返済のためすでに売ってしまっていました。一日一食パン一枚を愛犬のポチタと分け合って食べる日々。どう客観的に見ても悲惨な状況ですが、デンジ君は前向きです。
 そんなデンジ君にも他のジャンプ主人公と同様に偉大なる夢があります。食パンにジャムを塗って食べたり、かわいい女の子と付き合ったりするという夢です。ひょんなことから悪魔と合体し、チェンソー人間となった彼は、おいしいご飯とかわいい女の子のために、次々と出てくる悪魔をぶっ殺しながら阿鼻叫喚の渦へと大喜びで驀進していくことになるのですが、そんな彼の姿はなかなかに痛快で、読んでいて飽きることがありません。
 しかしながら、かわいい女の子とおいしいご飯という欲望が満たされてしまえば、さらなる欲望を望んでしまうのが人間の性でありまして、体の半分が悪魔になってしまったデンジ君もまたその例に漏れません。果たして彼は、女の子、おいしいご飯の次に一体何を求めるのでしょうか。


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