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【私とお能 : No.2】お能に目覚めた瞬間(W)

「私とお能」エッセイ

このコーナーでは部員やOGOBから集めた「私とお能」に関するエピソードをご紹介しています。

ジェリーわたなべ(H23卒)

それは慶應の受験を二週間後に控えたある夜のこと。当時の僕は河合塾松戸分校で、高校四年生の冬を過ごしていました。

四年生。というのも高校時代には勉強そっちのけで、ファミコンやスーパーファミコンにふけっていたからです。のみならず、進学先を「入りたいサークルがあるかどうか」というポンコツな基準で選んでいたからでした。仮にどこかの大学に合格しても、そこでやってみたいサークルが無ければ入学辞退。

予備校の教師に「英語が得意だったら受けておけ」と言われて、国際基督教大学(ICU)を受験しました。合格したものの、「入りたいサークルがない」という理由で蹴るというトンチンカンっぷり。

この時ICUに行っていれば、今では世界中を飛び回りながら仕事をしている、自他共に認める「立派な大人」になっていたかも(もしくは多少は英会話ができるプラプラしている人間になっていたか)。しかし、能楽について知る機会もなかったでしょう。それも寂しい。

そんなこんなで二回目の受験シーズンが到来。深く考えもせずに出願だけはして、「合格したらどこのサークルに入ろうかなぁ」なんて脳天気なことを考えていました。NHKの能楽番組をなんとなく録画したのは、そんな時期のこと。

なぜ突然、能楽番組を?それは古文を音読することが好きだったからです。「けり」や「らむ」のような古文独特の言い回しを声に出すと、楽しい気分になりました。

兄がジャズ・ミュージシャンで、僕自身も高校時代は合唱部に所属するほどには音楽好き。音楽の要素と古文の要素をミックスしたら、能楽になる。ということで、「せっかくだからお能を観てみよう」と思い、晩御飯をモグモグしながら番組を観ていたのでした。

番組が『胡蝶』だったことは、なぜか自信を持って覚えています。「こちょう」という音の響きが、既に心地よかったのかもしれません。これが「ちょうちょ」だったら、いまいちピンとはこなかったでしょう。

初めての観能体験の感想は、「登場人物が少なくてシンプルだなぁ」、「古文の響きはやっぱり心地よい」というもの。この時観たシテの舞に加えて、ワキの僧侶の佇まいが脳裏に焼き付いています。「能=仮面劇」という前提知識があったので、直面姿がかえって意外だったからです。

この体験を通して能楽に本格的に興味を抱いた僕は、「能楽のサークルに入ろうという人間は、きっと多くないだろう」というへそ曲がりな考えのもと、合格した大学にある能楽サークルの門を叩こうと決意したのでした。

とはいえ慶應入学後にある人との出会いがなければ、慶應観世会に入部しなかったかもしれません。この話については、またの機会に!

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※このエッセイを書くために調べたところ、この時観たのはNHK教育で 2005年1月29日土曜日に放送されていた、『胡蝶 脇留』だったようです。シテは大槻文藏師、ワキは中村彌三郎師。(出典:能狂言 能「胡蝶 脇留」~観世流~

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