「挫折をしない」お客様はいらっしゃいますか?
お疲れ様でございます。
もの考える慶應卒エステティシャンです。
大学受験生時代の恩師の言葉にこんなものがあります。「志望校に合格するたった1つの方法を教える。それは”できない問題をできるようにする”ことだ。」 もっとも衛生予備校だったので画面越しに投げかけられた言葉ですが…(時代ですね)
今回はこの迷言?にも少し関係するお話です。
その名も「挫折しない生き方のススメ」です!胡散臭いですね(笑)
突然ですが、このnoteを読んでくださっているお客様の中に「挫折を味わったことがない方」はいらっしゃいますか?
会社での面談やちょっとした居酒屋談義、ひいてはツイッターやnoteでも、「挫折を糧にした成功体験談」が巷には溢れてますよね。それこそ就活でも挫折エピソードはまさしく鉄板ってなもんです。
でも私はどうしても「挫折が美談として語られる状況」に違和感を感じるんです。「挫折することが美徳とされ、挫折を強要されているような...」「挫折をすることってそんなに偉いのですか?」「むしろ挫折なんてしない人のほうがすごくないでしょうか?」と。そんな違和感を抱えたエステティシャンの嘆きnoteです(笑)
かく言う私は、挫折を味わったことは多々あります。1年間引きこもりになっちゃうくらいの大きな挫折を学生時代に味わいました。でもそういった経験を踏まえて、今は意識的に「挫折をしないように」しています。「挫折をしない人のほうが成長スピードが速くてカッコいい」と思うのです。
このnoteでは「そもそも挫折とは」「挫折を糧にする人とは」「挫折をしない人とは」を主要テーマに徒然なるままにつぶやきます。
「そもそも挫折とは何か」
まずは結論。
私は、挫折を「後付けの美談」だと考えています。
皆様は挫折を経験したときに「うわ、今まさに挫折してるわ~」と感じますか?恐らくそんな風に考えている感受性の豊かの方は稀だと思います。
「挫折した経験」を振り返ってみると、その当時は「とにかく辛い!不安だ!自分が嫌いだ!周りの人間も嫌いだ!」などとネガティブな感情で頭がいっぱいですよね。
当時感じていた「失敗に起因するネガティブな感情」を、後の私たちが「挫折」と名付けるんじゃないでしょうか?(アドラー心理学の目的論みたいですよね。人間は「挫折を必要としているから、挫折する」的な...)
よくあるモチベーショングラフで表現するとこんな感じです(feat.へたくそ棒人間君)。↓↓
つまり「挫折=後付けの美談」、その正体は「失敗に起因するネガティブな感情」というわけです。
さて私の「挫折観」が明らかに?なったところで
「挫折を糧にする人」と「挫折をしない人」について考えたいと思います。
が、その前にお客様に考えていただきたい質問があります。
「なぜ棒人間君は、失敗を契機にこんなにも深い挫折を経験してしまったのでしょうか?」
「挫折を糧に成長する人」
それにしても「挫折を糧にする」ってすごくいい響きですよね。
ですがこの聞こえの良さには、「挫折を糧に成長する人」を語る上で欠かせない視点が欠如しているように感じるのです。それは「モチベーションの沈み込みを食い止められなかった」という視点です。
私が思う挫折を糧にする人とは、「何らかのタイミングで”変えられない要素”ではなく”変えられる要素”に視点変化が起きた人」だと考えます。重要なのは視点変化であり、当初は”変えられないもの”に視点が向いてしまっていたという事実です。
さて棒人間君は失敗をしていまい挫折を味わっているわけですが、当然棒人間君も文字通り”人間”ですから、失敗をすれば「反省」をします。ですがこの反省も奥が深く、「二種類の反省」が存在します。
「技術的反省」と「精神的反省」です。
「居酒屋でバイトしている棒人間君はお客様に提供するお酒を運んでいる途中で躓き、グラスを落として割ってしまいました。」
→技術的反省:「一度に運ぶ数が多かったかも。減らせば安定感増すし、万が一の被害も少ないな」「トレーで運ぶのはリスクが高かったな。店内狭いし」「そもそもガラス製は適切なのか?俺みたいに落とすリスクもあるし、酔った客だってよくグラス落とすぞ。割れない素材のほうがよくないか?」
→精神的反省:「あーなんて俺はグズなんだ。昔からそうだ、なにやっても不器用。何やってもどうせうまくいかないだろう」「てかミスしすぎてこの店にいるの気まずいな」「周りの客も酔っぱらって身振り手振りがデカくてうざいわ」
技術的反省の内容は、「すべて本人が操作可能で、具体的でかつ今すぐにでも実行して改善可能な要因」です。すなわち「成長」につながります。
対して精神的反省から導かれる失敗の要因は「本人では何の操作もできず、改善不可能な要因」つまり”変えられないもの”です。精神的反省は成長を促さないばかりか、さらに自己嫌悪に陥りモチベーションが下がる一方です。
これが冒頭で申し上げた「モチベーションの沈み込みを食い止められなかった」という事実の原因ではないでしょうか。
こうしてひとしきり落ち込むと、ふと考えるのも嫌になってどうでもよくなったりしますよね。あとよくあるのは救世主みたいな人が現れて、一瞬で暗い気分が吹き飛ぶようなドラマチックな言葉をくれたりします((笑))
こうして気分が切り替えられるとようやく”変えられるもの”に目が向いて成長できるんですね。これが「挫折を糧にした人の正体」だと思います。
つまり「失敗→精神的反省→モチベーション低下→たまたま気分復活→技術的反省→成長」というループに生きる人。たまたま気分復活というのが何となく不安を煽りますよね。技術的反省→成長の軌道に乗るキッカケが「外発的 or 偶発的なので、成長の再現性が低い」のだと考えています。
とはいえ、沈み続けて廃人になることなく立ち直ったのだから、挫折を糧にした人は十分すごいです。でも僕はもっとすごい人はいると思うんですよね。それが「挫折をしない人です」
「挫折をしない人」
どんなことでも、まずは結論
先ほど挫折を糧にする人を「失敗→精神的反省→モチベーション低下→たまたま気分復活→技術的反省→成長というループに生きる人」と表現しました。
単刀直入に、この太字部分っていらなくないですか?(笑) 「失敗→技術的反省→成長」というループに生きた方がスマートそうな...
そうです、「挫折をしない人」=「精神的な反省を意識的にしない人」です!
挫折をしない人は、何か失敗した際に技術的反省に注力します。なぜなら精神的反省が生産的ではないことを知っているから。精神的な反省をしないのでモチベーションを低下することなく、常に成長を継続できます。
実は「精神的な反省をしない力」=「レジリエンス」なんじゃないかと思っていますが、それはまた別のお話。
よくあるモチベーショングラフで「挫折をしない人」を表現するとこんな感じ↓↓
この人のすごいところは
・モチベーション低下の期間が極端に短いこと(すごい人はゼロなことも)
・何度失敗しようと、何度でもレジリエンスを発揮できること。つまり成長に安定性がある。(成長に再現性がある)
「挫折を糧にする人」と「挫折しない人」のモチベーショングラフを比較してみましょう。(デフォルメされてる感はあるが...w)↓↓
もし、これが株価チャートだったら、どちらの方が資産として投資価値高いでしょうか?
主張としては「挫折をしない人」というのは、「精神的反省ではなく、技術的反省に終始し、断続的で再現性の高い成長ができる人」なんじゃないかなと。この次元まで行きたいなというお話でした。
もし「挫折味わってんの?悔しくないの?」なんて上司から詰められたら使ってみてください(笑) 「挫折エピソード」に困った就活生諸君も使えるかもしれませんね。就活というかキャリア形成において「模範解答」に近いものを表現するのではなく、自分の人生観をしっかりと表現することのほうが重要な気がします。(というか人生すべてににおいてね) 我々は社会を生きているのではなく人生を生きているのですよ。
ま。今回noteを書くに至った経緯も、「挫折」について上司に詰められた憂さ晴らしなんですけどね(笑)
では、ご清聴ありがとうございました。
またのご来店を心よりお待ちしております。
エピローグとして
今回「挫折」の話をしたのは、上司との会話の中で感じた「?」が契機です。上司と僕の「挫折観」があまりに違っていて困惑してしまい、何らかの形で自分の主張を残しておかないとアイデンティティ壊れちゃうと思ったからです。(いくら腹が立っても、価値観の相違から言い争うのは生産的じゃないですからね。他者は変えられないものです。)
戯言でしたが付き合っていただきありがとうございました。
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