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おでんタイムはマイペース

こんばんは、今日も食日記ご覧いただきありがとうございます。
久しぶりに夜の投稿となりました。

晩御飯を食べた方もそうでない方も、ゆっくり1日を締めくくっていきましょう。

今日はほろ酔いな食日記です。
というかおやじ


今日の食日記

一人の夜ご飯、自分のペースを始めから終わりまでキープし続け少しの雑念もなく気の向くままにその時間を消費できるから好きだ。

マイペースもなにも、他人から見られる僕自身の時間さえもどうだって良いのだから、もはやマイペースという概念さえないのかも知らない。

僕はそんな夜ご飯をこよなく愛している。
お店でもお家のご飯でも、目の前にあるおしいご飯をしゃぶり尽くすように味わいたい、向き合いたい。
年々共食という文化から遠ざかっていることを感じ始めている。

そんな僕は、居酒屋などでも人とおでんを囲むのが苦手である。焼き鳥よりも苦手だ。

一体その要因はなんだというのだろうか。
僕自身もよくわからなかった。

冬になれば、実家では週に1回はおでんというほど、大きな鍋に大根やはんぺんが顔を出し、昆布だしの効いたおでんをつけて味噌かけて味噌(愛知の調味料、忘れられない地元の味だ。おでんをつければ鬼に金棒、ぜひ)や辛子とともに食べる。
まさに実家の味なわけで。

忘れられないおでんのメモリーとは別に、外食で囲むおでんはどうも落ち着かない。
あんなにも落ち着かせてくれるようなおじいさんのようなおばあさんのような料理なのに。

お酒と共にぺろっと食べれてしまうおでんは、進むからこそペースが早い。
その結果、味わうというより飲み込むに近い人と当たると、味わいたい僕は最悪の気持ちになってしまうのだ。

「出汁を感じようや!」と余計なお世話を焼きたくなるほどに。

だから、一人でおでんを食べたい。
おでんタイムはマイペースが良いのだ。



今日のお店

奈良に行けば、夏でも冬でもおでんに出向きたくなる。

奈良の夜には竹の館がいるのだから。

駅裏の路地はとてつもなく暗い。
特段田舎というわけではないが、よっぽどの都会じゃない限り、夜は暗いということが、名古屋を出て前橋や那須塩原で暮らしてみて分かってきた。
都会出身の自分をしつけたくなるほどに、暗い夜がすこぶる苦手なのだ。

だから、その夜もそれは足早に竹の館に滑り込んだ。
孤独と不安からなんとか逃れるようにその場所についた。

まあるい真っ赤の提灯が心の燈。
一旦救い上げられたようにホッとした。殻に篭ろう。

店に入れば、銭湯のような熱気が立ちこみ、迫力の玄関口はそれだけで満足感が突き抜ける。さっきまでの暗闇はどこへやらポロッと不安を吐露してしまいそうなくらいに、母の安心感を感じてしまった。

席につけばもう勝者だ。

渾身の一杯のビールとおでんをそれはマイペースに食べる独壇場。
これこれこの時間が蘇らせる。

一気飲みの勢いでジョッキを大きめにぐいっと飲み、マイペースおでん奉行が勝手に始まる。


茶色のおでんが好き

大根に厚揚げ、はんぺんにがんもどき、僕は茶色の具材に目がない。
とろっとろの大根も、ジュワッと出汁が噛むたびに溢れるすり身類も、熱々が身体に溶け込む幸せはおでんが教えてくれた。

火傷する勢いで口に放り込み、ほふほふと口を鳴らしながら熱々を冷めないうちに食べ切るのがマイペースそのもの。
僕の時間だから、と改めて胸を張った。


でかい捏にでかい牛すじ

食べ切っては、捏に牛すじ。マイペースに付き合ってくれるのは、おでんは煮込めば煮込むだけ美味しい説を提唱するようにお鍋で永遠と温められいつでもスタンバイしてくれているからだ。

これまたビールが美味しい。

一人が美味しい。

そんな呑んべえタイムは一人を肯定し、ゆっくりと時と味を刻ませてくれる。
なんて無防備なことだろう。だらしない。

そんなマイペースな時間が止められない。
おでんはマイペースに一人で味わいたいものだ。

実家はまた別の話。


美味しいひとときに、ごちそうさまでした。
では、また次回。



今日のお店:竹の館(奈良県奈良市南魚屋町25)



*Instagramでは暮らしにある食をすきなだけ発信しています*

暮らしのヒントになれば、と。

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