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祖父も携わった「油壷マリンパーク」のプロボノをするまでのご縁

昨日のnoteに書いたように、9月末で閉館する油壷マリンパークの売店の広報をプロボノで手伝いました。

思い返せば、ここに至るまでに7年くらいの歴史があったので、どんなご縁があったのか振り返ってみます。

「素敵な団体でプロボノをしたいけど、ご縁がない」

と考えている方の参考になれば幸いです。

「次の目標」を探していた20代半ばの頃

私は新卒で出版社に入社しましたが、配属されたのは子会社のコールセンター。

しかも、お局さんに「本社の総合職なんて教えたくない!」と言われ、「ここで芽が出ず腐ってしまうのでは」と恐怖を感じました。

そこで、社外で編集の経験を積むことにしました。

学生時代に参加したことがあった、馬や寝台列車でシルクロードを旅するツアーを主催しているNPO法人「奔流中国」の代表の著作を、プロボノで編集をして刊行したところ、Amazonの複数カテゴリで1位になりました。

「自力でキャリアって作れるんだ」と気づき、当時は副業解禁前だったので、これからもどこかでプロボノを続けようと決めました。

どこにでも顔を出す日々

とは言え、一冊の本を自力で作り上げるのは、かなりの労力でした。控えめに言って、魂を削りました。

「次に魂を削っていいと思うものに出会えるまでは、可能性を広げる期間にしよう」

と思いました。私は熱中しやすい方なので、「とりあえず」と始めても寝食を忘れて取り組み、また精根尽き果ててしまうなと予感したからです。

なので、たくさんの場所に赴き、たくさんの人に会うことにしました。

NPOなどの社会貢献の場にも顔を出したし、出版関係の方のパーティや着物会にも行っていました。勉強会やセミナーにも行きまくりました。飲み会に呼ばれたら必ず顔を出していました。

会社の繁忙期以外は、週に5-6回くらいは外に出ていたと思います。

キャンプをきっかけにKさんと出会う

そんな折、大学時代のサークルの先輩Oさんから「自分が所属しているNPOでキャンプをするから、行こうよ!」と誘われました。

実は、その先輩は在学期間がかぶっておらず、共通の友人の宅飲みで知り合った程度で、その時点ではぶっちゃけ「顔と名前だけ知っている人」という感じでした。(O田さん、読んでたらすんません。今は大好きですよ!)

でも、「外に出たいモード」だった私は二つ返事で参加を決めました。

場所は相模湖で、参加者は20-30代の30人ほど。

そこで知り合ったのが、キャンプを主催しているNPOの代表のKさん。一回り上の男性でした。

「最初はキャンプやBBQみたいなライトな集まりに来てもらって、もしNPOでのプロボノに興味を持ったら参画してほしいと思ってるんだ。でも、とりあえず今回は難しく考えずふつうに楽しんでって!」とのこと。

キャンプでは、社会課題の解決みたいな話は一切出ず、食べて飲んで歌って楽しい2日を過ごしました。

ゆるやかなつながり、そして突然のマネタイズ

そこでそのNPOを好きになった私は、Kさんの思惑通りプロボノになる…と思いきや、そこから1年ほど、キャンプ・ちゃんこ鍋パーティ・飲み会にだけ行っていました。

プロボノの魅力は経験済みでしたが、まだ広く浅く関わりたいモードだったので、腰を据えて関わろうという気分になれなかったのです。

エンタメ系にばかり顔を出す私にも、Kさんは「慶野さん、島が好きなんだっけ?次のキャンプは伊豆七島に行きたいから、一緒に企画しようよ!」と受け入れてくださり、決められたタスクよりこちらの興味関心を優先してくれました。

そんなこんなしているうちに、私もKさんはじめNPOのメンバーが好きになり、説明会やブレスト会に顔を出すようになりました。

すると、ある日Kさんが「慶野さんって、パワポで画像つくるの得意だよね?よかったら、NPO向けにパワポでできるデザイン講座をやってよ!」と誘ってくれました。

NPOなどの社会貢献団体、地域団体は、「伝えたいことは多いのに、広報の予算がない」「デザイナーに頼めず自力でチラシを作って、すごいダサい」という課題を抱えている人が多いそうです。

デザイナーでない私にできるかな?と心配だったものの、色彩検定で身につけた色の知識、編集の仕事で覚えたデザインの知識を詰め込んだ90分の講座をつくりました。

プロボノとしてNPO向けにやってみたら好評を得て、「お金を払うので自社でもやってほしい」というイベントスペースなどからの引き合いも複数きました。

私が複業として最初にマネタイズできたのが、この「パワポでグラフィックデザイン講座」です。最初のフィーは数千円程度でしたが、程なくしてしっかり稼げるようになりました。

キャンプとちゃんこ鍋パーティに行っていた日々が、生業づくりにつながるなんて!

今のパラレルキャリア研究所の活動があるのも、Kさんとの出会いはかなり大きかったです。

その後も、KさんやKさんのご家族と、ミカン狩り、BBQ、ちゃんこ鍋パーティ、カリブ海料理パーティ、三浦の朝市に行く…などなどのお付き合いが続いて今日に至ります。

食ってばっかかーい!って、思いました?

その後、仕事仲間を紹介したり、お仕事をいただいたり、プロフェッショナルとしてのお付き合いもしています!!

ただの食いしん坊仲間ではないのです!まぁ、会話の8割は食の話題なんですけどね!

突然の油壷マリンパークのご縁と、さらなるご縁

そのKさんから以前に紹介していただいたのが、今回油壷マリンパークでペンギンショップを出店したお二人。

二人のSNSの投稿を見て、もともと水族館や動物園が好きなこともあり、即座にプロボノで手伝うことを決めました。

パワポでグラフィックデザイン講座の経験を活かして、広報用画像をたくさんつくって提供したところ、店舗やSNSでご活用いただきました。

油壷マリンパークの動物たちの役に少しでも役に立てたなら、それだけで満足…と思っていたのですが、さらに面白いご縁が。

両親に「こんなことしたよ」と写真を送ったら、なんと、祖父が油壷マリンパークの開館に関わっていたことが判明しました。

祖父は、水族館を建設に携わる斉藤省三商店という会社で働いており、1967~8年頃には油壷にずっと出張に行っていたとのこと。

知らなかったよ…!おじいちゃん…!

もしかしたら、祖父や父から、油壷マリンパークと祖父の関わりについて、聞いたことがあったかもしれません。祖父は、自分が関わった全国の水族館の話をよくしていたので、おそらく油壷の話もしていたと思うのです。

でも、当時は行ったことがない遠くの地名を聞いても、ピンときませんでした。

プロボノをやっていて嬉しいことの一つは、当事者として関わる世界が増えること。

本を読んで知識を増やすこともできますが、プレイヤーとして足を踏み入れると、得られるものも、アンテナの立ち方も全然違います。

今回の件で、私は「油壷、三崎」「水族館」へのアンテナが研ぎ澄まされたので、今後情報をキャッチしやすくなると思います。

ワクワクするもの、思い入れがあるものに触れたときの方が、人はパワーを発揮します。

当事者として何かに関わり、それを自分の人生の大切なパーツにできたならば、「パワーの源」を増やせているのだと思います。

プロボノは、不確実だから面白い

私は、そうやって、思いもしないご縁がつながるのがやっぱり好きなんです。

合理的で、決められた人間関係の中だけじゃ物足りない。

だから、無駄が多いように見えるかもしれないけれど、いろんなところに飛び込んできました。

今回の油壷マリンパークとのご縁だって、また別の何かに、いつかつながるかもしれません。(私の孫が、未来に油壺に関わったら熱いよね!)

会社員として働いていると、思いのほか、「同質な人」とばかり付き合うことになります。それが当たり前すぎて、同質であることにすら気づきにくくなります。

バックグラウンドの違う人が集まるプロボノは、予測不能で不確実な要素が多いからこそ、意外な出会いや気づきがあって面白いです。

会社と家の往復だけだったら、遠く離れた水族館が閉館することなんて気にも留めず、祖父と時間を超えて関わることもなかった。

予想もしないご縁が繋がり、自分の人生の表面積が広がるプロボノって、やっぱりいいなぁと実感しました。

京急油壷マリンパークは、明日で閉館まであと2日。閉館は悲しいけれど、ご縁をつないでくれたマリンパークのこと、私はずっと覚えていようと思います。

パラレルキャリア研究所代表 慶野英里名

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