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在宅医療と価値観と役割、そして関係性

最近在宅医療を提供していて感じているのが、その家、その家の価値観や関係性に我々の関わりも大きく左右されるということ。

例えば・・・

・本人と家族の関係性が情緒的にうまくいかない事例で症状の度に在宅医療が間に入る(逆に家庭内で対応できる場合は相談の電話がかかってこない

・頑固な(一種の成功体験がある)高齢患者さんの価値観を尊重にして薬や方針を提案する

・意思決定をする人と一番介護に携わる人が異なる、といった家族の役割分担を把握して、誰と何のコミュニケーションをとるか判断する(家族の考えでそれが見えにくいケースがある)

などなど。以前より事情があるから在宅医療になる、と思っているので改めて驚くことではないのだが、こうして言語化していくと1つとして同じ状況がなく、お家の数だけバリエーションが存在すると感じている(ただし、一定のパターンは存在する)。

ちなみに事情があるから在宅医療になる、という話は、裏を返すと単純に足が悪いだけなら家族かヘルパーさんが車椅子を押して同行受診するという方法があるから。いわゆる外来で薬をもらう、検査をするだけだとなかなかコーディネートしきれない「複雑な事情がある」から在宅医療に切り替わっていく。

さて、上記に挙げたケースを通じて思うのが、あくまで医療は手段であって、在宅医療を選ぶ患者さんとその家族の意図や状況(場合によっては、依頼してきたケアマネジャーや訪問看護の意図・状況)を分析して提供していかないと、あまりうまくいかないということ。

そういう意味では、病院のように医療の問題に臨床推論を働かせて検査して治療して…という医師のスタイルだけではなかなかうまくいかないのは当然なのだと思う。また、検温して清拭して処置をして…という病院看護の状況もしかり。ご自宅は、ご本人・ご家族のホームであり、なかなか病院内だけで考えられた医療だと在宅医療の状況にフィットしない。

個人的には、こうした状況をもっと在宅医療者の中で共有して言語化を進めていくことでケアの質が上がる(サポートの質が上がる)と思うのだが、現状ニーズがあるかは不明なので、引き続き、まずは投げかけて発信していきたいと思う。

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