見出し画像

小説「風の仕業」kaze no itazura 10

 10(最終章)
 十二月に入って私は彼女を電話で呼び寄せ、梅田の紀伊国屋書店横のビッグマンの前で落ち合った。
 今度は彼女が私を待っていて、私が遅れてきた。地下鉄御堂筋線の梅田駅から改札を抜けて、阪急三番街に向かうと、エスカレーターがあり、私は右側の方から地上に上がり、ビッグマンの前の人混みを見渡すと、ちょうど紀伊國屋書店の入口の前の人混みの中に彼女を見つけた。ゆっくり近づいていくと、彼女もようやく私を見つけ、何だか知らないが嬉しくて仕方がないといった表情を満面に浮かべて私を見た。
「遅かったわね。三十分待たせて頂きました」
 私は仕方なく「どうも、すいません。遅れまして。これでお相子あいこですね」と言って返した。彼女は声を出して笑った。何だか自分のライフワークがやっと終了し、肩の荷が下りたみたいに言ったが、まだまだだよ、そんなにライフワークが終了してたまるもんかと私は文句を云った。彼女は私に甘えるように寄り添ってきた。年末の梅田は、三番街やナビオ阪急の年末商戦と合わせ、どこもかしこも慌ただしく見えたが、阪神百貨店やホワイティに通じる通路にはクリスマスの電飾がいつもながらに天井から垂れ下がり、通路一面を覆っていた。私は、彼女を導いて阪急百貨店の一階にあるジュエリコーナーに入った。既にショーウィンドーの前には人垣がぎっしり出来ており、なかなかウィンドーの中の宝飾ものを拝むことが出来なかったが、若いカップルが私達の前から離れると、そこに僅かに空間が出来て、割り込むようにして入れ替わった。

 中で店員がレジを打ったり、別の店員と契約済みの指輪に関するやりとりを交わしていた。その間彼女はしばらくガラスの中のネックレスや指輪を物色していたが、やっと店員が彼女の方に視線を移し、笑顔で挨拶をし、お目当てのものを聞いてきた。彼女は、これにするというように私の顔を窺いながら、ショーウィンドーの中に置かれたものを取って欲しいと店員に告げた。私は、その彼女の指先に見えるものが、ペアリングであることに気付き、すぐに目をらしてしまった。彼女は店員の奨めに従い、リング・サイズを測り、それが終わると今度は私にも測るように店員が勧めてきた。仕方なくそれに応じた後に、私は彼女と出逢った日をリングに刻んでもらえないか頼んだ。彼女は私の左に位置し、右腕を私の左腕の中に忍ばせてきた。店員の云われるままに、渡されたメモ用紙に日付と、ふたりのイニシャルを書き込んだ。彼女はとても満足したふうな顔をして私を見た。

 一週間後に店に取りに行くことになった。彼女の心に何か暖かいものがあることを私は感じていた。私達はナビオから阪急東通り商店街、そこからお初天神通に抜け、再び梅新あたりから引き返す格好でビル街を北に向かった。
 梅田のオフィス街。ここで働く人々の流れが出来る、第二ビルと第三ビルの間の歩道を阪神百貨店の方に向かって二人歩いていた。その時も私の左側を彼女が歩いていた。丸ビルの回転する広告灯も今はもう動いていなかった。
 冬の季節にしてはまだ優しい風が、私の頬に吹きつけ、彼女の今でもやや赤みがかった髪にも同様に吹きつけていた。
 彼女は云った。
「私達、望めばずっと一緒にこうやってお話したり、歩いたり出来るんでしょうねぇ」
「そうだよ、そうしなさいって、風が」
「え?聞こえなかった、なんて云ったの?」
 その時風がビルの谷間の中心で渦をつくり、勢いを増して更に強くなり、私達の会話を打ち消そうとした。私は風の勢いに負けまいとして、彼女を引き寄せて、彼女の耳元で声を出して云った。彼女もかき消された私の声をもう一度よく聞くために、頭を後ろに反らせながら近づき、左手を耳に押し当て、身体を私の方に寄りかかるようにして次の言葉を聞いた。
「風がそう云ってるよ。智子ともこがそう望んだんだったら、そうしなさいって」
 私はその時初めて彼女の名前を口にした。
 彼女は私の左腕の中に自分の右手を突っ込んで、そこに左腕を添えて、風に飛ばされないようにするため、又二度と離さないとでもいうみたいにしっかりとつかんできた。
      

               了

著者 あとがき

 昨年(2011年)3月11日に東北地方太平洋沖地震が起きて未曾有の被害をもたらしました。神戸の震災のおよそ四倍の死者(行方不明者を含む)を出すなど、当時誰が想像できたでしょう。

 私達は自然の力の前で、または突然起きた社会事象の前では、どうしても無力感を抱くことがあります。荒々しい津波の力だけでなく国家権力が時としてとんでもない悪魔を創造して神と戦うような仕業(しわざ)を目にするような時などもそうです。

 この小説では風の仕業(いたずら)によって日常起こり得ない表象を作り出すことを試みました。風という自然の力を感じて、私も息を吹き返すことが時としてあります。他愛もない日常を通して今進行している世界の事象をとらえること、これが私の今後の課題です。最後までお読み頂き、有難うございました。     (2012年1月5日)

 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?