見出し画像

小説「風の仕業」kaze no itazura 7

   7
 「あなたは?」そう彼は私に聞いた。
 ある日曜日に「遂に」私は「ストーカー犯」である彼と、向き合うことになった。彼の携帯電話が分っていたので、まずそれに電話して会うことになったのだ。
 彼は通常の声で名を名乗って応答した。
 私のやり口はもちろん暴力団が女性をダシによくやる手口の美人局つつもたせではない。しかし私が彼女と付き合っている者であるということをはっきり云ってやった。決して脅している訳ではなかった。もちろん私も自分の名を名乗った。彼がどういう心境なのか私には分らないが、彼は私の顔が見えないだけに真意を推し量りにくい様子で、会って話をすることを要求した。彼は待ち合わせの場所を、恐らく自宅や勤務先からはもっとも離れた場所を選んだはずだった。中之島の日銀の北側には遊歩道が堂島川沿いに東西に走っている。中之島公園を住民票の登録地として市から頂いた野宿生活者が時々たむろする他は昼間でもそこを利用する者はまばらで、そこのベンチで私は指定された時間に待っていた。
 彼は時間どおりにやって来た。肩には最近の若者がよくやるリュックを通しているが、営業マンを思わせる紺のスーツを着こなしていた。彼は依頼者である私を確認してから、自分は写真を仕事にしている者で、荻野と言いますと簡単に自己紹介をし、私の横に腰を掛けた。私も自己紹介をした。こんな時には時候の挨拶は必要ではないが、何から切り出していいものかはかりにくいものだ。
 「初めまして。津守と申します。彼女があなたから半年前に電話を受けてからノイローゼ気味になってしまい、私も心配しています。彼女は大変魅力的な人ですからあなたも好意を抱いたんでしょうけど、それは分りますが、でもストーカー行為は、今は立派な犯罪となるのは知ってますよね。あなたのためにもこれ以上続けないようにお願いします。またその行為については所轄の刑事が動き出しましたので、あらかじめお知らせしておきます」と事務的な口調で一気に続けて云った。
 彼は最初は知らないとうそぶくつもりであったと思う、しかし私の少し真剣な表情に押されたのか、これは自分の相手ではないと思ったのではないか。また私の職業を云って少したじろいだのかも知れない。彼はどういう訳か、ここに来る前に既に半ば諦めていた感じがした。
 「警察云々は僕と関わりないですから怖くないです。それよりか、関係ないですけど、彼女を幸せに出来るんですか?あなたは」と彼は、率直な私の決意みたいなものを聞いてきた。関係ないですけど、と断ったのは、彼は彼女の彼氏でもないからだし、もう関係なくなるからという意味合いがその言葉の中に込められていたと思う。
 私はどう答えようか、暫く躊躇ためらっていたという方が真実だった。なぜなら彼女にとって私が何であるかを今の段階では定義できないし、それにいきなりそう聞かれたからって、彼に対し、彼女を幸せに出来るなぞと自信を持って答えることが出来ない相談だった。しかし、だからと云って、何も云わないでは、彼女の相談を受けた弁護士の役は務まらないだろうから、少し間をおいてから私は活字口調でこう彼に切り出した。
 「彼女が、私によって本当に幸せになるかどうか、本当のところは私にも保証することは出来ません。だけど、一つだけ云えることは、彼女が今私を頼ってきていて、私を必要としているということなんです。実際彼女に会ったのはあなたの方が先みたいなんですけど、それで、あなたにとって彼女が必要で、彼女があなたを必要だとしたら、それでいいんでしょうけど。実際にはそうじゃなくて、どう云ったらいいんだろう。もし彼女にピンと来るものがあればあなたと付き合ってたでしょうしね」
 彼は黙って私のその場しのぎのような言葉に耳を傾けていた。くどくどと弁解がましいこともわなかったし、単に頷いただけだった。警察が介入する前にどうやら白旗を揚げたように私には思えた。私はそう考えて幾分それで安心した。

 しばらく経ったある日の朝私は不快な電話の音で目を覚ました。それはストーカーである荻野からの電話であった。やはり私はまず何故彼が私の家の電話を知っているのかをいぶかったが、彼の用向きを聴くことが先決であった。彼は言った。
「実は私彼女から撤退したんですけどね、彼女にある魔法をかけたことをあなたに言ってなかったものですから…..」
 私は何のことか咄嗟に理解しかね、「え?魔法?」とオウム返しに聞き返していた。
 彼は、そうですと答えるのみだった。それだけの用件を彼が言って、私も充分事情が飲み込めないままに「こいつ何云ってんだ」と不快な電話を早く切ってしまおうと考え、応答のないまま切断してしまった。
「魔法」って何だ?魔術や手品のたぐいか。だからおれにどうしろというのかいぶかった。もし彼が言う魔法というものがあって彼女がそれにかかっていたとするなら、ひと頃のオーム真理教が信者に対してやった洗脳マインドコントロールというのを思い出させるではないか。ちょうど阪神大震災が終わって一息ついた頃に、ちょうど降って沸いたようなオームの騒ぎが日本に起こった。
 彼女がほんとに彼によって魔法にかけられているんだろうか?と考えてみる。
 その日のうちに今度は私の友人である刑事から電話があった。私は用件を聞く前に先に彼に質(ただ)した。すると「彼女のことなんだけどね、ちょっと話したいことがあるんで、電話でもあれだから明日でも来てくれたら、車の中で話するから」と奥歯に物が挟まった言いようだった。
 何で車の中なのか?私が翌日の昼過ぎに電車で東大阪市内のそこが分岐となる割と大きな駅で降りて、駅前の商業ビルの中に入って待っていると携帯電話に彼からのコールがあった。
 公用車で私と同じ車種の車の運転席に彼の日焼けした顔が見え、私が助手席におさまりシートベルトを締めると、簡単な挨拶を言って彼はしばらく車を走らせた。
 前を向いたままの姿勢で彼は私に言った。
「彼女のことなんだけど、実は」
 私も相槌を打った。そうそのために私を呼んだはずだから、その先を促した。
 「それで彼女なんだけど」と同じことを繰り返した。
 「彼女がストーカーだとしたら驚く?」といきなり私に質問してきた。
 「もちろん、驚くに決まってるやない、そんなことある訳ないし」そこで区切って、私は彼女を今まで被害者だとして話を進めてきていたのだし、彼にそう依頼したのだった。
 それでもし彼女が被疑者の立場に立つなぞ想像したこともないことが現実となったらどうしょうという、へんな心配が私の心を支配し始めた。
 車は北行きに国道三○八号線の手前で路肩に寄り止まった。彼もそういう私の心配を察して直ぐに話を継いだ。
「確かに最初は彼女がストーカー行為を受けていたことは分かっている。留守番電話の内容や行動監視の状況も確認できた。でもそれは彼女からの接近行為があったという事実をまず見逃すわけにはいかないんだよ」
「え?接近行為?それどういうことなの?」
 私も訳が分からない思いで彼の話を聞いた。
「彼よりも彼女の方が彼に対して相当好意を抱いており、それが行為にでて、彼の職場や自宅への接近、或いはメール、チャット、エトセトラ、エトセトラ」
「ちょっと待ってよ、いやあ、信じられないなぁ」実際私は信じられない面持ちで彼の話を聞いた。警察の捜査内容には特有のお堅い部分があるだろうし、男女の機微が分からない無粋な連中には、邪推もあるのではないかと思えてきた。私は完全に彼女の弁護士になっていた。
「それ事実なの?彼女が先に付きまといのような行為をしたとか、そのチャットやメールや」
「事実」と極めて簡単に、断定的に彼は答えた。どこに推測も憶測もございませんと私にけしかけてくるような勢いだった。彼が彼女を呼んで詳しく事情を聞き、それを調書化したことも教えてくれた。
 私はそこまで聞いてそれ以上ストーカー犯とされた彼に対し何を追求できるところがあるのかと、半分自棄やけになって云った。怒りをぶちまけたい心境だった。友人である彼にも申し訳なかったし、相手の男が白であるなら彼女を疑ってみなくてはならないと思うとえられなかった。そういう私の内心を察知してか彼はそれ以後余計なことは喋らずに再び私を駅まで送ってくれた。そして別れを言った。私も大変お世話になったとお礼を云いひとまず彼と別れて電車に乗った。
 私はどこに行ったらいいのだろうかと思案しながらも、直ぐに到着した奈良行きの急行に飛び乗った。吊革を握り窓外を何気なしに見てはいたが、実際には何も見てはいなかった。どうして彼女は私に嘘を言ってまでそういうことを私に強いたのか、その辺も不可解だし、なぜ彼女がそもそもストーカーなのかという一事が腑に落ちなかった。そして私に接近したのも私を利用するためだったのではないかとさえ思えてくると、高ぶる気持ちを抑えることが出来なかった。やや鼻息が荒くなった私を見て、私の直ぐ前に座っていた年輩の女性が怪訝けげんな顔を向けているのに気付いた。電車はやがて生駒のトンネルにさしかかると暗闇の世界の中で私も目をつむり気持ちを抑えようとした。電車は私や、私の知らない様々な客を乗せて闇の中を音を立てて進んで行った。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?