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僕はいま、貸切状態の李禹煥美術館(香川県・直島)の展示室内にて、一人彼の作品を眺めながらこのnoteを一心不乱に書いている

そんなめちゃくちゃ贅沢な鑑賞体験をしているにも関わらず、なぜ「noteを展示室内で書く」なんて、美術愛好家たちに怒られそうなことを僕はしているのか。

もちろん「書きたい!」と思って、展示室内で書き始めたわけじゃない。アートラバーの端くれとして、当然そんな野暮なことができる訳がない!

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結論から申そう。

「”直島の美術館はどこも館内撮影禁止”だったから僕はnoteを展示室内で書いてしまった」のだ。

もちろん、撮影不可なことを批判したくてnoteを書いているわけではない。

むしろ僕は「撮影禁止の美術館」が大好きだ。世界中の美術館が撮影禁止になればいい、って一人のアートラバーとしては思ってる(だいたい作品・建築写真なんてググればいくらでもプロの綺麗な写真が出てくるのだから自分で撮影する合理的理由なんてないはずだ)。

また、「撮影不可」としてほしいのは「シャッター音が気になるから」とか「来場者は作品と真摯に向き合うべきだから」とかそういう理由ではない。各自が一番好きな鑑賞体験を楽しめばよい(鑑賞者にはルールに抵触しない範囲内であれば各自好きなように楽しむ権利があるはずだ!シャッター音が気になるレベルの集中力の人は、どうせ集中できまい)。

※尚、現ア運営者の立場としては当然に世界中の美術館は一刻も早く撮影可とすべきと考えている旨も、併せて申し添えておきます(撮影可とするのは、「アートファンを増やしたい」「広報費を払わずにSNSでPRしてもらいたい」「SNSの力でファンを増やしたい」(=入場者数or作品売上増に繋げたい)という運営側起点の事情に他ならないはず?なのだ)。

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話がとっちらかってしまった。

僕が撮影不可な美術館を好むのは「"撮影可"だと作品をじっくり楽しむ前に次々SNS投稿用のストーリーが思いついてしまい"作品鑑賞を楽しめない"から」だ!

「これはインスタのストーリーズでこういう風に紹介しよ」「あ、そのためにはこの写真も撮っておいたほうが綺麗に繋がるな」「ん、この画角は面白いからとりあえずTwitterで写真投稿用に撮っておくか」etc...

純粋に作品を楽しまずに、何でもSNSに結びつけるなんて許されていいはずがない!"撮影可"の美術館のおかげで、自称アートラバーの僕はいつも自責の念に苛まされている(SNSを脳内から追い出せない展示のほうが悪い!なんてことは決して思うまい)。

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僕は「現代アートと出会う日」というアートプロジェクトを立ち上げたことにより今年の6月からSNSを頑張っている。が、一つ弁明しておくと、元来僕はフルタイムで働くごく普通のサラリーマンだ。

Instagram3アカウント・twitter2アカウント・fb2アカウント、このnote…とSNS更新に追われた生活を送るのは専門分野ではない(痛いのは現アの広報予算と人脈が0なことだ。SNSがなかったら何も出来ない・・)。
そして、「旅や読書の時間>SNS」のライフスタイルは変えたくない。


となると、SNSへの投稿は必然的に時間勝負となってしまう(なるべく「1つのシリーズ及びnoteへの投稿は30分以内&移動中等の隙間時間に一気に投稿する」こととしてる)。

そのためには当然、投稿内容は携帯を開く前に事前に固めておかなくては間に合わない。つまり「あとからゆっくり写真を振り返って投稿内容を構築」、なんて悠長なことは許されないのだ。

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そろそろ僕が”撮影可”の美術館を避けたい理由をご理解頂けただろうか?

美術館で撮影ができなければ、SNSに脳をとられず純粋にアートだけを楽しめるのだ!!

その観点から行くと直島は最高だ。僕は今朝もアートを存分に楽しんだ。地中美術館でひたすらモネを!タレルを!デマリアを!プライベート鑑賞(本当に他のお客さんなしで鑑賞し続けることが出来た)し、作品に没入した。

本当に幸せな時間だった。

そしてその幸福感に満たされたまま李禹煥美術館へ移動した(ちなみに日本で一番好きな美術館は?と問われたら「豊島美術館」か「李禹煥美術館」と答えるくらい大切な空間だ)。

なんと、今度も貸切!一部屋目から死ぬほど李禹煥ワールドを堪能した。

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李禹煥美術館に訪れたことのある方はご存知と思うが、この美術館には「瞑想の間」という、靴を脱いで床に座りながら李禹煥の作品を眺められる素晴らしい部屋がある(以下、画像はベネッセさんwebより)。

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貸切なのだから当然今日は瞑想の間も独り占めだ。僕はSNSのプレッシャーから開放され、瞑想の間でひたすら作品を眺めた。

眺めていた…んだ...

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が、すごいことが起きてしまった。美術館に入ってから一度も携帯に触れていないにも関わらず、僕の脳みそは「このnote」を書き始めてしまったのだ。

次々文章が浮かび、文字数も増えていく…。甘かった・・・

「撮影禁止なら作品を純粋に楽しめる」、そう思っていたがそれは幻想だった。李禹煥を眺めながら僕はいつの間にかこのnoteを書ききってしまった。

・・・。最初の”結論”で申した通り、もし李禹煥美術館が「撮影可」だったら僕はきっと写真を撮るだけで満足し、この2,500字のnoteを書き切ることまではしなかったに違いない・・・。

気を悪くされた美術ファンがいたら申し訳ない。ただ事実として、瞑想の間でnoteを書き終えてしまったため、どうかご容赦頂きたい。

※以上、本noteは2021年1月10日に、"牧野圭の脳内"からこちらに転載したものです。




>吉見さんへ
先に鑑賞を終えて外で待っててくれてありがとう。noteを書いていたので遅くなりました。ちなみに「まだ?」とライン頂けなかったら僕は2本目のnote「あなたは美術館でキャプションを読む派?読まない派?(仮題)」も書き終えるとこでした。

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