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「エッセイ創作大賞」が書かせてくれた「心のバリアフリー」

少し前のこと。
私は胸が痛くなる記事を読んだ。
「昔は男性が好きと言えなくて大変だった」
という高齢男性の発言だ。

バリアフリーといえば、通常建築物に使われる言葉だ。
最近の新築物件はバリアフリー化されているし、リフォームでバリアフリーにされる方も多いだろう。
それは今、既に問題となっている超高齢化社会に向けての対策だと思われる。

実際にバリアフリーの家に住むと、その心地良さに感動すら覚える。なんなら掃除も楽だ。
ここまでは進んできた。

では心の面ではどうなのだろう?

某ドラマを皮切りに、男性同士の恋愛が世の中に受け入れられつつある昨今。
リアルではないが、これは画期的だったと思う。
その後そのドラマに続けとばかりに同様の路線で様々なドラマがつくられた。オリジナルも原作ものもみなヒットした。原作本も売れている。
フィクションでは受け入れられ始めたのだ。

ところで、前出の方に心を痛めた私ではあるが、かなり昔、リアルな世界では彼らを興味本位で見てしまったことがある。

ある旅先でのこと。
男性同士が手を繋いで楽しげに歩いていた。
ツアーで訪れていた観光地でのことだ。
集合時間に間に合わなくなりそうな私と母は猛烈にダッシュした。そしてその2人の間を避ける間もなく割って走り抜けてしまった。
彼らの手を離してしまった。

そこまではまだ、良しとしよう。実際、良いかどうかは分からないが。
問題はその後、だ。
私と母は、あの二人手を繋いでいたね、と含み笑いをしてしまったのだ。

遠い過去の話ではあるが、言論の自由、表現の自由があるのであれば、恋愛の自由もあってもいいのに、ということには当時気づかなかった。

そこで冒頭の男性のお話だ。

確かにそうだろう。今でこそ目新しくないこの話題。古い考えが浸透していたその当時、男性が好きなどとは口が裂けても言えなかっただろう。
この方のことを思うと本当に今は良い時代になったと思う。

例えば、演歌歌手として一世を風靡し、さらに今そこから次のステップに行き、それがファンにも世間一般の方々にも受け入れられ応援されている方がいる。
かくいう私も、この方を見ると清々しい気持ちにすらなる上に、応援したくもなる。
だからこそ、この切り替えをするまでの道程は、自分を押し殺す作業の連続で大変だったのではないかと推察してしまう。
売れっ子だからこそ、影響力があるからこそ。
そして今、かたく閉ざしていた心を解放し、新たな舵を切ったこの方はきらきらと輝き、のびのびとされており、とても楽しそうに人生を謳歌している。
ように見える。
かの、昔苦労した男性も、これから先、こうした人生を送ってほしいと思う。

時間は取り戻せない。青春時代に戻れたらこの男性ももっと楽しい人生をおくれたかもしれない。それでも、今変化しつつあるこの日本で、この男性にも幸あれ、と願わずにはいられない。

日本は先進国だ。
そういはいっても、こういう面については、腫れ物を触るかのように触れようとしてこなかった。
その日本で、ようやくLGBTの問題がとりただされるようになった。
それでも、権力のある方が差別発言をしては謝罪するというのを見受けることもある。

このエッセイ部門が無ければ、私自身こうしたことは書かなかっただろう。
心の中で思っていただけだったと思う。

女性である私自身、普通に男性に惹かれるから。それが普通ではないことに気付かされた。
だからこそ、先の男性の言葉には胸がえぐられるような思いがあった。
私は自分が好きになる人についての悩みなどを普通に友達に話してきたからだ。
それが彼はできなかった、隠さねばならなかった。かの男性はさぞかし苦しかったであろうことは想像にかたくない。
今私が何度も使っているこの「普通」が「普通」ではなかった当時。
誰にも打ち明けられない気持ちはずっと胸にしまっておくしかない。
告白すらできない。
告白することで、気持ちを消化できることもある。玉砕しても次に進める。
だが、それができない。
さぞかし心が傷んだだろう。

夫婦別姓しかり、LGBT問題しかり。心のバリアフリーに対して、日本はまだまだ問題が山積みのように思う。カミングアウトという言葉も最近やっと聞くようになった。
だからこそ、こういう心の面でもバリアフリー化して欲しいと切に思う。
それが先進国としての役目の一つではないだろうかと思うから。

蕾は花開く準備だ。
現状日本は、こうした問題に対してかたい蕾のように感じる。
それがいつか花開く日本であって欲しい。

#創作大賞2023 #エッセイ部門

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