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DMM英会話から学ぶ、主義主張が対立したときの作法

ことの発端

先日した以下のツイートを、健忘録としてnoteにまとめておきます。

このツイートは、定期的にレッスンをお願いしてる先生と、レッスンをした後の感想です。おそらく50~60代の方で、職業として英語を教えた経験があるので、時間が合えば先生に選ばせてもらってます。(お国柄あるあるではなく、完全に個人の主義主張の話であるため、あえて国名は伏せます)

この前のレッスンで家事ロボットの話(この記事で触れてます)をし、先生は家事ロボットなどには否定的な立場でした。わたしは家事よりも仕事・趣味がしたいタイプなので導入したい!というスタンスで、2人の意見が割れていたんですね。ロボットのときは、立場が分かれることについて、そこまで深く考えなかったんです。先生の言うこと(家事をすればエクササイズになる、など)も一理あるな~と思えるものでしたしね!だからその時も「まぁ確かに~」というようなコメントをしていたと思います。


ディープなトピックでの、主義主張の対立

ジェネレーションギャップがあるかもしれない、ということはすっかり忘れて、たまたまその日に選んだ話題が「同性婚を合法化した地域」の話でした。トピックを読んだ先生の顔が、ちょっと曇ったような、そうでないような…と思っていたら、レッスンを始めるなりすぐ"I don't agree with same sex marriage."(私は同性婚には反対)とはっきり言われました。

これを聞いて、ちょっと焦りました。

第一に、このようなセンシティブなトピックを扱うこと、それに対し口頭で意見を述べるということに慣れていませんでした。日本でふつうに暮らしている分には、まず対面で議論しない話題です。(それを自分で選んだわけですが)それ以上に、少なくともわたしの周りでは、面と向かってド直球に否定的な意見をする文化がなく、それをされたことのほうがインパクトが大きかったです。特にわたしは大人よりも高校生と接することのほうが多いので、本気のトーンで、ある社会的な物事(しかもそれは世の中の半分くらいの人に受け入れられている可能性があるもの)に対し否定する、という場面に出くわすことがなかったんです。

第二に、先生とは真反対の意見を持っている、ということからなんと言えばいいのか、一瞬わからなくなりました。わたし個人としては、「他人に迷惑がかからない選択肢は、社会で受け入れるべき」だと思っています。同性婚をしたからといって誰かに迷惑がかかるわけではないなと思うんですね。問題点として挙げられることの1つに、おそらく「社会に迷惑」であることとして「少子化が悪化する」があるかもしれないのです。それは同性婚を合法化したうえで、真っ向から真摯に取り組んでいけばいい問題であると思います。(そもそも少子化の根本的な理由は、個人や家庭が経済的に不自由さを感じることではないのか、とも思いますしね!)

以上の理由から焦りを感じたものの、先生は仕事ですから、淡々とディスカッション・トピックを進めてくれました。わたしは同性婚に関する肯定的な意見をトピックに沿ってどんどん言うんですが、「そうだね」とか「なるほどね」のようにあっさりとした相槌のみで、反論することはありませんでした。

レッスン最後のあたりで、同性婚ではなく、LGBTの恋愛は自由かどうかの話になったとき、「先生はこれも反対なんでしょ?」と聞くと、「そこは別に構わない」と言ったんですね。このあたりでようやく先生の本音(?)らしきものが聞けました。先生いわく、「同性愛がオープンになってきたことにより、親戚の6歳児が自分を気軽にゲイだ名乗るのがイヤだ」「道路なんかの公共の場では見たくない」「結婚式で2人の男がヴァージンロードを歩く姿を単純に見たくない」…だから反対、らしいです。誰を好きになるのも自由だけど、その関係をオープンにはして欲しくない、という意見でした。それを聞いて内心「最初の6歳児の件はまぁ分からなくはないけど、ほとんど個人的にイヤなだけかーい!」と内心思いましたね。笑 そういうわけで、わたしはどの意見にも同意できなかったので、先生がわたしにしたように、「それが先生の考えかぁ」というコメントをするくらいでした。

でもこれらの意見を伝えてくれたすぐあとに「でもわたしはそういう風に考えくるよう育った、保守的な世代だからね。若い人たちと意見が違うのは分かる」と言ってくれました。


自分の主張を述べるのは自由である

自分を含め、自分の周りの人たちはふだん関係の悪化や疎遠化を恐れて、なんとなーく同意して、個人的な考えは伝えずに、なあなあに済ませることが、どちらかといえば多いんです。政治的な話に限らず、職場でも、家族や友人関係でも、ディープな話になればなるほど、話題にするのを避けるし、上っ面だけの話で終わります。円滑なコミュニケーションをとるためには、なにかを共同で進めていくためには、これが良いと思っているからです。わたしは職場では、自分の教育理念はわりと主張するほうなので、もしかしたら煙たがられているかもしれないんですが。笑

だけど最初にはっきりと否定的な意見をした先生から、主張することの自由さに気づきました。ツイートにもあるように、「相手や当事者を全力で否定したり、故意に傷つける言葉を使わない」、逆を言うと「最低限、人して配慮がある」のであれば、自分の気持ちや意見を伝えることって、自由であるべきことなんだよなぁ、自由であっていいことなんだよなぁと思ったんです。

オンライン英会話は25分という短さですし、今後もお世話になっていきたいと思っている先生なので、過度に白熱したディスカッションはきっとお互いに求めてないんですね。かといって自分の主義主張は曲げられない。だからお互いに「なるほどね」程度のコメントしかしない。一番よかったと感じるのが、お互いに「社会はこうであってほしい」という願望は述べても、「相手の意見が間違ってる」など、相手を非難・批判することはなかったんです。


良し悪しを検討するのはトピックに関してであって、議論相手そのものではない

今思い返すと、先生とわたしは、お互いの異なる意見、異なる意見を持つお互いの存在を尊重していたんだと思います。先生はご経験からこのタイプのディスカッションの作法を熟知しているのかもしれませんが、ペーペーなわたしは無意識でした。

お互いの意見・考えは、自分のものとは真逆で、あまり理解できるものではない、という事実がある一方で、ディスカッション相手の人間性に関しては批判・否定をしない、ということです。

なんだか改めて書いていると当たり前のことだなぁと感じるのに、いざ真っ向から反対意見を言われると「反対意見を持ってる自分ごと批判されている」気がしてしまうことがあるんですよね。だからこそ今回の先生とのエピソードを胸に刻んでおこうと思ったのでした。

同様に、仕事をミスしてしまったとき、授業でなにか間違えてしまったとき(問題の回答でも行動でも)、上司や先生、もしくは同僚や同級生は怒るか呆れるかもしれません。でもそのネガティブな感情は「あなたがやってしまったこと」に向けられているのであって、「あなた自身の人間性」に向いているわけではないと、考えられるといいですよね😊


マジョリティとマイノリティ、立場は逆転しうるもの

本題とは逸れますが、もし先生の言うとおり、もし年配者が「LGBTのようなマイノリティグループに対し、寛容的でない世代」であり、若者が「比較的、寛容的である世代」だとしたら…と考えたことです。

現在マイノリティグループとされている人々が未来永劫マイノリティであるかどうかは、誰にも分かりません。どちらかというと、寛容的な若者が大人になり子育てをするなら、寛容的な世代がねずみ算式に増えてもおかしくないなぁと思ったんです。

特定の世代やグループについてアレコレ言うのはもちろん個人の自由ですが、いつか自分の所属する世代・グループが「強い」立場でなくなったとき、同じように自分が批判される可能性がある、ということを覚えておきたいなと思います。そしてそれをインターネット経由で大々的に世の中へ発信するのか、ということも、改めて考えていきたいですし、生徒にも考えてもらいたいなと思いました。


「論理的な思考力」が本当に力を発揮するのは、相手を論破するときではない

わたしは生徒に対し頻繁に「論理的に考えて問題に取り組もう」とか「論理的に考えて長文を読もう」「論理的な構成の英作文を書こう」と言います。自分の主張を伝えるときは、可能な限り論理的でありたいです。

「論理的」であることって、

・あるものごとに関する説明の順序が適切で、
・複数の証拠があるくらいに正しく
・意見の対立者がいれば対立者の欠点や不十分な点を指摘し、
・第三者を納得させることができる状態

だと思うんです。英作文に書くだけなら、この要素を100%詰め込んで、どーんと自分の主張をぶつければいいですね。そうすれば論理構成という観点では満点です!

でもディスカッション中、特に対立する相手に対してコメントをする場合は、「論理的である事実・理論」を100%全力投球する、いわば「論破する」のは、違うよなぁと、今回の件で強く感じました。

先生に向かって「あなたの意見はとてもじゃないけど論理的ではない!個人的な感情に基づく意見が多すぎる!あなたの主観だけで考えるのではなく、客観的な第三者の目でどうすれば社会が良くなれるか、と考えるべきだ!同性婚を合法化する利点は…」なんて言ったところで、イヤな生徒だと思われるだけなような気がします。

わたしは先生との師弟関係は今後も維持していきたいので、実際に「個人的な感情論」だと思っても、それは言わないんです。どちらかといえば「なるほど、そういう感情を持つんですね」と、相手の気持ちには寄り添う姿勢を取っていました。相手の論点には同意していない、ということが重要です。

論点に同意しないのは、相手が論理的ではない、と判断できるからです。それは「論理的思考力が養われていること」を示していますよね。ツイートにも書いたように、ディスカッションでは、相手を正論で論破するために論理的思考力を活用するのではなく、相手の理論が同意してよいものなのかという正当性を判断する手段として活用できたら、と思います。そして同意できなかったとしても、それは相手の理論として、そっと飲み込むのがいいですね。本当に必要なとき(例えば犯罪といえる行動を称賛するなど)こそ、過剰な反発を生んでしまうので、論破は避けたいものです。(論破ではない別のアプローチが必要という意味で、必ず放置するというわけではありません)


長くなってしまったのでまとめておくと、ディスカッションにおいて、論理的な思考・発言は以下のように使い分けるといいのかなぁと思います。

・自分の主張を伝えるとき、相手の主張を聞くときにフル活用する
・相手の主張にコメントをするときは、程度を加減したり、言葉の選び方を考慮する


なにが言いたかったかというと!

ツイートの順番は前後してますが、スピーキング力を向上させる以上に学ぶことが多くあり、楽しい!日本人同士ではめったにできないことができていて、楽しい!ということです。


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