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ハラの記事を書くにあたって

先日、ハラという女の子のストーリーを掲載した。

彼女とは、何度かメールでやりとりし、サマーキャンプで撮影された動画を見て、ハラというひとりの女の子と向き合った。

記事よりも長くて、彼女独特の詩のような表現もあって、文章にしたかったけれど、訳してしまったら、言葉に込められた思いが消えてしまう気がして、なくなく記事からは消した。

彼女のストーリーを書くうえで何よりも大切にしたかったのは、彼女が繰り返し私に言ったこと。

「私はサバイバー。被害者じゃない」

「被害者と思われるように、書かないで」

彼女の強さだと、戦渦で生きるひとりの子の強さだと感じた。

戦渦で彼女は、強くなろうと、早く大人になろうと自分を駆り立てた。そして、そうなれたと言う。本当なら、もっと無邪気に、夢を見て、自由に過ごせたはずなのに。

戦闘がなければ。

イドリブはじめ北西部では戦闘が続き、北東部では散発的に戦闘があり、家に帰った人もいれば、避難生活を送っているままの人もいる。

そして、戦闘が終わっても、多くの地域は激しい攻撃にあった場所で、町は壊れたままだ。

アレッポ、ホムス、東グータ、ダラア、デリゾール、ハマ、ラッカ.....散発的なテロも起きている。安全に安心して住める家は壊れたまま。学校も病院も壊れたまま、電気や水、道路などインフラも壊れたまま。

貧しく、暖を取るための灯油も、生きるために必要な食糧や医薬品を買うことも難しい。収入のための職もない。

戦闘の恐怖から解放された後、人々は、生活を立て直すためにどうしたらいいのか手立てがなく、次の先の見えない道に立たされることになる。

そうした中で、子どもたちは、強くならなきゃ、人々や町、国のためにどうにかしなきゃと、ますます”強く”なろうとする。

けれど、そうしたハラや子どもたちに、任せていいのだろうか。

彼女たちだけじゃない、もちろん大人たちも、たまたま「シリア」という国に生まれ、そこにいる人たちにも。生活を立て直すために、国を立て直すために、自分たちで頑張れ、と。

必死に生き残ろうと、この9年、声を挙げ続けてきた彼らに、次の試練も頑張れ、と。

シリアだけじゃない、人道危機は長期化し、数だけが増え、「最悪の人道危機」といった言葉だけが、繰り返し繰り返し報道されていく。

空っぽの言葉だけが響き、その下にいる人々の存在や魂、声が、どれだけ挙げていても、伝える人がいても、その言葉の下に消えてしまう。

そしてまた、人道支援の必要性も、政治問題に絡められ、より複雑に、そして支援を必要とする人々の声が遠ざかってしまう。

時には支援が届けられなくなる。

支援が必要な人々ーたまたま、その国に生まれた人、その国に住んでいる人、逃げたかったけど逃げれない人…私たちと同じ、ひとりの人間で、平和を求める一市民ーなのに。

それを変えたかった。

そして、ハラのように今もずっと強く、頑張り続ける人々に、彼らが失った時間を、本来であれば夢を抱き、心から安心して過ごせるはずだった時間を取り戻せるように、戦闘が終わった後の手助けの必要性をどうにか伝えたかった。

彼女たちは、ひとりで頑張らなくていい。

貴女は強い。一緒に頑張ろう、未来を創ろう、と。

それは、そうした彼女たちの声や姿を、「知る」ことからはじまり、それだけでも影響は大きいと思う。

時間はかかったけれど、ようやく記事にできた。

そして改めて、一人道支援者として、支援を必要とする人のために、支援を応援してくださる人たちへの説明責任も果たしながら、できることを丁寧にあきらめず、取り組んでいきたいと思う。


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