映画『娘は戦場で生まれた』
女性であり、母であり、ジャーナリストであるシリア人の目線から見た、包囲されたアレッポでの”日常”が、映画になった。
昨年ぐらいだろうか、ナショナルジオグラフィックのサイトから知って、ずっと観たいと思っていた。幸運にも、出張がキャンセルになり、初日に観ることができた。
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2007年末~08年明けに行ったアレッポ。そのとき見た風景の面影が、崩れた建物が広がる街にあった。ツイッターとFBと、この記事のヘッダーはその当時のアレッポ。
ふと、先日公開した記事で話を聞いたハラが、「壊れた町の中に、かつての美しさを感じることがある」と言っていたのを思い出した。
2016年11月頃から、事業申請のために、ありとあらゆる報告書やニュースをかき集め、今起こっていることを追っていた。人の動き、戦闘状況の変化、支援の動き、シリアを巡る戦闘各当事者の動き...そのとき追っていた情報が、実態となって繋がった。
2019年10月18日、ベイルートからドーハへ向かう飛行機の、シリア上空でハマ北部あたりでみた空爆の閃光、そこに生きる人たちはどんな状況にあったのか、時代も場所も違うが、より具体的に想像した。
そして、シリア人の友人たちで、シリア危機後に子どもを授かった彼ら一人一人を想った。
アレッポで生まれ育ち、危機後トルコへ逃げた友人は、「戦いに戻る」と言ってアレッポに戻った。その後、トルコに再び逃れ、結婚し子どもを授かった。「アラビア語はコーランだけ。トルコ語で育てないと。きっとこの子はシリアに帰れないから」そう言った。
シリアからイラクのクルドへ、そして第三国に渡った友人は、クルドで出会ったシリア人女性と結婚し、子ども3人(下2人は双子)を育てている。
シリア国内にいる友人夫婦は、子どものために出生地主義を取る国に行き、子どもを産んでシリア以外のパスポートをその子に与え、シリアに戻った。シリア人として生きるには大変だから、と。妻もシリア人ではない。夫は彼女にシリアというパスポートを与えてしまったと皮肉って笑った。
娘を持ったシリア国内の友人は、爆撃がなくなっても経済危機に苦しみ、子どもたちが路上で物を売る姿に心を痛めている。
私がワアドだったら、どうしていただろうか。
映画の中の人々の言葉、ひとつひとつが心に突き刺さった。
ー産んだことを、許してくれるかしら
娘に問う。子どもは、生まれてくる場所も親も、選ぶことはできないから。親は産む場所も、産むか産まないかも、選ぶことができるから。ワアドは、愛する夫ハムザと出会ったことも、後悔する。
ーこの子の母親をうらやましく思った。子どもが死ぬよりも前に、死んだから
空爆で亡くなった男の子の母親は、先に亡くなっていた。
ーアレッポを離れたくない、僕は残る
幼い男の子はそう言う。強くいようと、闘っているように。静かに涙を流した。
ー子どもが離れたくないのに、離れるわけにはいかない
子どもたちの悪い見本になるわけにはいかない、自分たちだけ助かるために離れることになるからと。それは同時に、子どもたちを危険に晒し続けることにもなる。葛藤しながらも、子どものために強くいる、そして正義を守る人でいようとする大人たち。
ー日常生活を送ることが、私たちの抵抗
瓦礫となった建物の前でチェスをする大人たち。爆弾で真っ黒こげになったバスに、ペンキで色を塗る子どもたち。少しでも子どもが子どもらしくいられるように、と。それでも彼らは、そのバスがクラスター爆弾で焦げたことを知っている。バスの運転手になり、通学ごっこをする。いつか自由に外に出て、学校に通うことを夢見て。
ー空爆の音を聞くと、泣かなくなった
生まれてからずっと、戦闘機や空爆の音のある環境で生きてきた娘、サマ。ワアドはそんな娘の姿を見て、心を痛めた。戦渦での生活は、子どもたちの感情を、表情を、そして言葉さえも奪うことがある。
ーアレッポは、消えたね
小さな女の子は、包囲から降伏を選び町を離れるとき、涙を流す母を前に一言そういった。そして優しく、母の涙をぬぐった。
自然と零れ落ちる涙は、止まらなかった。今でも落ちてくる。
2017年からシリア事業をはじめて、私たちが支援を届ける人たちの顔や人生の一部を知れた気がした。触れられた気がした。
入域できないことの辛さ、息苦しさ、苦しさもまた同時にきた。
そして、今現地で動いている仲間も、そうした当事者なのだと心が痛くなった。
上映後、ワアドとの質疑応答で、感情や言葉の消化に時間がかかり、結局手を挙げても時間がなく、質問できなかった。
サマは今、戦渦で生きたことによる影響を感じることはあるのだろうか。
シリア国内の友人が、貴女の映画がアカデミー賞にノミネートされたとき、世界に大事なメッセージを残したと、称えたと伝えたかった。
戦渦の「生」を伝え、生きることで抵抗する人々の姿の映画は、子どもや惨劇を悲劇の象徴とするものではなく、力強いものだった。
ワアドは、最後にこの映画を多くの人に見て、国やジャーナリストに今のシリアについて何が起きているのか分析し、行動してと伝えてほしいと訴えた。
東グータの時も難民危機も、そして今のイドリブも”かわいそうな子ども”が悲劇のシンボルとして世界が注目することが、悲しかった。子どもをかわいそうな子、と位置付けてしまうから。もちろん、そこに生まれ育ったことで悲劇の渦中にあることには変わりはないのだけど、でも何か違うと感じ、悶々としている。
私は、かわいそうな子とは全く思わなくて、どうしたらいい、何ができる、戦闘を止めようよ、と、ただただ心が痛く苦しくなるからだろうか。
そして、そうした世界の注目で、その子たちがどうなったかを追い、そこで終わる。映画もそう。『存在のない子どもたち』、『アレッポ最後の男たち』やほかのシリアの映画も。映画で注目された彼らがどうなったかを追い、称える。そこで終わり。今もなお続いている戦闘も、戦闘が終わった後、壊れた町の中で必死に生活をはじめようと生き続ける人たちのことにも、関心がいかない。
大きな攻撃や衝突があれば、そこで注目する。でも”日常的な爆撃”や”情勢が沈静化した後”の、そこで闘い続ける人々の声が届くことは少なくなってしまう。
もちろん、社会を動かすにはジャーナリストやメディアなど、情報を発信してくださる人たちが必要で、今のイドリブや各大国の動向と、それに翻弄される人々の声を発信してくださっているジャーナリストの方々はいる。そして、実は、”日常的な爆撃”や”情勢が沈静化した後”の、そこで闘い続ける人々の声を届けてくださるジャーナリストの方々も。
シリア人、日本国内外問わず。
受け取り手である私たちが、膨大な情報から見つけ出し、受け取り、バトンを繋げることも大事だと思う。せっかく届けてくれた声を、バトンがつながらないことで埋めさせてはいけない。
今回の映画も、感動した、素晴らしい映画というように称えるのではなく、今シリアで何が起きているのか、自ら情報を収集し、精査し、知る機会に。イドリブの惨状は大きい。一方で北東部では散発的にトルコによる空爆が、ダラアや南部では反体制派デモのような動きが、シリア全土で経済危機と貧困、「イスラム国」による散発的なテロが起きている。一つの視点だけでなく、多角的な視点でシリア全体を見る機会に。
長期化するシリア人道危機を、知るために。
繰り返し、思う。
翻弄される人々は、ただそこに生まれ、育っただけ。
イドリブはじめ北西部の人々は、ただ静かに人間らしく暮らすことを求めて、行かれるほうへ歩き続けている。泣くことも不満を言うこともなくなった子どももいる。子どもを守れない、と映画に出てきた大人たちと同じ経験をしている大人が多くいる。
イドリブ県外に住むシリア人も、シリア国内のシリア人も、生き残ったことや今爆撃のない空の下にいることに罪悪感を感じながら、葛藤しながら、北西部の現状に向き合っている。
そしてトルコでは、移民・難民が欧州へ再び危険な旅をはじめた。道中も行き先も庇護の約束はないままに。
「普通の生活を求めるのは、すべての人間が望むことなのだ」
そう、シリア人の友人の一人は、最近のニュースを見て呟いた。
ワアドからのバトンか、世界につながっていくように、ここに徒然なるままに思いを書いた。
できることで、シリアと共にいたい。
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