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【エッセイ】佐藤浩市の魅力

 友人と、佐藤浩市が良い、という話になった。そう、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』である。
 そうでしょう、そうでしょう。佐藤浩市は、良いのである。

 ナマ佐藤浩市に、お目にかかったのは何年前だったか。映画会社に勤める友人から、試写会のお誘いがあった時、登壇する俳優が佐藤浩市と聞いて、よだれをたらしながら会場へ向かったのである。気を効かせた友人が、真ん前の真ん中に席を確保してくれていた。興奮しながら待ち構える私の前に、すっくと立った佐藤浩市。若干開いた私の口が、しばらく閉じることがなかった。
 日本人にしては大柄ながっしりとした景色のその人は、うつむき加減に左端の口元だけに微笑みをたたえて立っていた。整えられ過ぎていない髪型、軽く前に組んだ大きめの手、こなれたダークカラーのスーツ。驚くほどの美形と言うわけでは無いのだが、確かな、魅力があった。
 国民的対談番組のパーソナリティーで、ユニセフ親善大使でもある大学の先輩は、その対談番組の中で、「係のものが、佐藤浩市さんは凄く素敵だと申しておりました」と、本人に言っていた。ギネス級に何十年も続くこの番組の「係りの者」と言われるお方も、相当な数の有名人にインタビューしたことだろう。その「係りの者」が凄く素敵だと言うのだから、特別に、抜群に素敵なのだな。
 では、どんな風に?と、とても記憶に残っていたのだった。
 その佐藤浩市が、目の前に立っていた。

 思えばこの人の魅力は、確かな俳優としての実力に重ねて、その寂しさでは無いかと思う。
 超大物俳優を実父に持ちながら、人生の前半、大変に苦労したと聞くが、何か、はらんでいる寂しさ、哀しさに我々は心とらわれるのではないか。

 夕陽は何もかも包み込んで、沈んでしまうから美しいのかも知れないし、満開の桜だって、私たちはその後の姿を知っている。
 完璧な美しさは、どこかに寂しさを抱えている。そのうっすらとした哀しみを、我々は知らず知らずのうちに、透かし見ている。そこに、自身の心を重ねながら。

 ポジティブ信仰が蔓延している今の世の中で、必ずしも、毎日、前向きばかりではいられないことに私たちは気付いてしまった。100%ポジティブなんかで居られない。

 ここ2年余りの、ポジティブで居られなかった経験や想いが、成熟したコミュニティを創造しますように。とじ込めた意識下にある寂しさが、哀しさが、いつか成熟した魅力に変わりますように。
 いや「絶対に変わるのです!」と、ポジティブに、キッパリと、言い切ろう。

●随筆同人誌【蕗】掲載。令和3年7月1日発行

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