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北野武と三島由紀夫について


北野武が三島由紀夫を語って、その中で、大衆・民衆の残酷さ、ずるさは比類ないというようなことを言っていて、あんたが言うか!と思ったが、三島と大衆を対比させたところは、その通りだと思った。

そこで、鈴木貫太郎のような武士道を弁えた軍人や、戦争を進めるときには東條英機、戦争を収めるときには鈴木貫太郎というような人選が出来るほどに世界が見えていた天皇のような所謂貴族階級の洗練さに馴染んでそれが日本だと信じて生きてきた三島には、アメリカの言いなりのアメリカナイズされた民衆の「図々しさ」がたまらなかったのだろう。

私は完全なる大衆・民衆の出自を持つが、大衆・民衆の残酷さを目にしたのは皮肉にもタケシの番組が最初だった。両親は心根の優しい善良な人間であった。偶に軽い嘘をついたが、それは自らを惨めに見せないための痩せ我慢の類であった。

三島や北野の民衆嫌いと、私のエスタブリッシュメントへのルサンチマンと、どちらが罪深いのであろう。

それは紳士・淑女は好ましいものであろう。だからといって民衆・大衆は卑しい存在ではあるまい。文化的に言えば建築から生活様式に至る迄、そして教育による高邁な志迄、敢えて言うが支配者階級は憧れの対象になっているだろう。

けれども、現代日本は階級が混合していて、既に三島が愛した日本は彼の頭の中にしか存在しない。そして新たに登場した粗野な人々や気取った人々や、X世代やZ世代などを彼は愛せない。彼は居場所を失ったのだ。

東大全共闘との論争で極めて失礼な芥正彦に礼を尽くした三島は何も持たない学生がただ一つもっている知識と頭脳に敬意を払っていたのだろう。そして失礼で尊大な態度が彼ら学生の鎧だということも理解の上許容した。だが、三島は芥正彦の呈示する解放区に飛び込むことはできなかった。

飛び込んだとして、あまり結果は変わらなかったのではないか。なぜなら三島の生きるべき世界はすでにこの世にはなくなっていたからである。三島が本当に東大生との共闘を望んだら…いや、やはりそれはあり得ない。

なぜなら、日本は魂の抜けた形骸化した武士道と未だ魂の入っていない民主主義の混合で、いずれにしても魂が入っていないということは、スガ秀実の「1968年」に三島のアプレゲールはニヒリズムであると述べられているように規定の事実なのだ。


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