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「歴史の話 日本史を問い直す」網野善彦氏、鶴見俊輔氏対談 を読んで

「日本」とは、七世紀以降、小帝国を志向し、東北・南九州をふくむ周囲の地域に対して侵略によって版図をひろげることにつとめた、いわゆる「律令国家」の確立したとき、その王の称号「天皇」とセットで定められた国号であることは、研究者の多くにほぼ認められた事実である。(網野)

狭義の日本の資本主義の萌芽は14世紀頃から見られるというような興味深い歴史が次々と繰り出されるが、私には「所謂日本史」の脱構築のような感じがした。

歴史学のみならずマルクス主義、民俗学、韓国・朝鮮文学、中国文学について縦横無尽に語り、収斂していく結論は、堅固な日本という地球世界と対立し特殊であろうとする態度を改め、地球世界の中の混じり合った〈日本〉らしきものにならないといけないのではないかということだった。

話が進みテーマが変わっても、各テーマに関わる学者が次々と現れ、その著作すべてを読み、記憶していることに感嘆した。それは、網野善彦氏、鶴見俊輔氏両者に言えることで、もし私が若かったら、多大な刺激を受けただろうと思う。

私がこの本から受け取ったメッセージは、天皇を戴いた絶対王制とか、世界や地球民に溶け込まない日本ておかしいよね、天皇は世界中の王国の王の一人だし、日本だって世界の中の一員に過ぎないし、いろいろな民族のカクテルで出来上がっているということだ。

あと、私が考えたこともないことが話題に上る。「ことばの重層性」だ。現代の学術用語は一義的でことばの持つ多義性を削ぎ落としているから、効率は良いがすぐひっくり返る、という。

私などは一義的用語に慣れすぎて、一義的でなければ覚えられない頭になって、英単語を覚えるのが苦手だった。例えばサブジェクトはサブだから副、又は従なのになぜ「主題」になるのか?頭の中が混乱した。

しかし、そういうことばの持つ歴史的な多義性が学問の世界には必要なのだと二人は言う。私は、学問の難しさにあらためて遭遇した思いだった。

江戸、明治時代にはまだ多義的な仕事を為した学者がいたが、変質が顕著になるのは大正末期だという。それは関東大震災によりカオティックになった被災現場を陸軍が統制して復興の道を拓いたことで、陸軍が権限を拡大して軍国主義に突入した時期と重なる。

これは私の推測だが、ひと昔前は語学でも世界の多様な言語の多様な発音を無理に五十音に押し込めて発音したように、学問の世界でも多重的で重層的な概念を一義的な概念に押し込めたのではないかと思うのだ。その学問の初等、中等教育を受けた私たちはやはり概して薄っぺらな思想しか持てなかったのではないかと思ってしまう。

教育のせいにするな、自らの能力と努力が足りなかったのではないか?という声も聞こえてきそうだが、三つ子の魂百までというではないか。(居直り)

鶴見氏は言う。「一応定義」して、やれるだけやってみて、はみ出したものが出てくる。つまり剰余がある。その割り切れないものが大切かもしれない。「うれしいような、悲しいような」「わかるような、わからんような」というのは選言命題なんです。

そして、京都学派に話は及んで西田幾多郎の「存在の脈動」が含む存在の肯定と南京虐殺をも肯定する二面性に言及する。

鶴見氏は網野氏に、歴史区分について問う。網野氏は高度成長期以前と以降を分けたいと答える。なぜなら、その世代を跨ぐと言葉が通じないからだという。

高度成長期以降の人は、まず高度成長期以前の言葉を知らない。測量単位、生活雑貨等全く知らない。歴史の学問の継承以前の問題だ。

そこで鶴見氏は引き取って、その世代は勉強もしないし、世界と連帯することもできない、カプセルに閉じ込められた、新たな鎖国世代だと言う。

網野氏: この五年ぐらい、私はゼミの学生にまず宮本常一さんの「忘れられた日本人」(1960年)を読ませるんです。あれには戦後の話まで出てくるわけですね。学生ははじめは何百年も前の話だと思っているんですけど、「五、六十年前のことだよ」と言うとぶったまげますよ。カルチャーショックを受けるんです。

網野氏: おじいさん・おばあさん、父親・母親が生きてきた世界を、自分たちは何も知らないんだということを、今の若い人に知っておいてもらう必要があると思うんです。

私は、網野氏が仰る高度成長期以降の世代だが、たまたま青森県の片田舎に育ったために、小学三年生位まで書道の半紙は一枚五十銭だったし、生まれて最初の記憶は階段の上にあった火鉢だった。味噌は味噌・醤油を売っている店で量り売りだった。
それらが一変したのはオリンピックからだったと思う。田舎に波及するには二三年かかったと思うが、五十銭は消え、火鉢は随分前にダルマストーブに変わり、量り売りの店が消えた。
私は1967年頃にはサイケデリックのTシャツを纏い、トーストと紅茶の朝食になっていた。

そして御多分に漏れず戦争の歴史も知らず、「戦争を知らない子供たち」をいい気になって歌い、「書を捨てよ、街に出よう」に乗って本を読まなくなった。

私は、網野先生の危惧する若者の〈走り〉であったと思う。

集団の記憶(集団の範囲には諸説ありそうだが)は未来へと確実に羽ばたくために必要なのだと思う。同じ過ちを犯さないために、A.I.の時代が来ても生き抜いていけるように。(了)


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