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映画「花束みたいな恋をした」土井裕泰監督作品を観て

麦くん(菅田将暉)は価値観がピッタリの少女絹ちゃん(有村架純)と出会った。感じること、考えること、読む本、観る映画、遊ぶゲームまでそっくり同じだった。一緒に居酒屋に行けば、履いていたスニーカーがお揃いだったり、恋に落ちるまで時間はかからなかった。

二人は親の反対を押し切って一緒に住むことにした。調布駅から歩いて三十分の多摩川に面した部屋だった。そこで二人は桃源郷のような時を過ごした。

大学を卒業し、生活費を手に入れるために、絹ちゃんは事務を、麦くんは物流関係の営業をすることになった。そうして合わせ鏡のようだった二人は少しずつズレだして違う風景を映し出すようになる。

朝日新聞デジタルで「働きながら本を読める社会へ三宅香帆さんが問う」で言及されたように、資本主義社会は労働者の全身全霊を絡め取るが、労働者は半身で本を読める余力を残して働いていく社会になっていけば、もっと良い社会になるのではないかと提案している。

この言葉を借りれば、絹ちゃんは半身で仕事をして半身で本やゲームを楽しんでいたが、麦くんは全身全霊で仕事に没頭したのだ。

すれ違いの日々は続き、揺れ動きながら出した結論は麦くんは「結婚しよう」で、絹ちゃんは「別れよう」だった。

別れの話し合いをしに入った行きつけのファミレスはいつもの席が埋まっていて、二人はその斜めの席に座った。麦くんの「結婚しよう」という言葉に絹ちゃんは心細げに「それもいいかも」と呟いたその時だった。

二人のいつもの席に出会った時の二人によく似たカップルが座り、麦くんと絹ちゃんの最初のデートと同じような会話をしている初々しさを二人は目撃して感極まり泣いてしまう。それは、もう今の二人にはどんなに手を伸ばしても届かないキラキラした時間だったことがまざまざと蘇り、それは過ぎ去ってしまい二度と戻らない時だと思い知らせるような情景だったからだ。

そうして、麦くんと絹ちゃんは三ヶ月の身辺整理の時を経て穏やかで和やかな気持ちで別れた。街ですれ違ったときには、二人とも新しい恋人を連れていた。二人は背中でさよならを言った。

私の感想:女性が別れを切り出したとき大抵の男性は「結婚しよう」という。それは、君のために一所懸命働くよ、と言っているのか、結婚が男性に有利な制度だからかは解らない。
ただ少なくともこの映画では、麦くんは絹ちゃんの全てを受け入れるよ、だから僕の全てを受け入れてほしいと懇願しているかのようだった。

それでもシャンソンの「枯れ葉」のように、美しく、太陽が今より輝いていた季節が過ぎ去り二度とは戻らない運命であることを二人は悟ったのである。

別れを悟り笑って去っていく、その美学は麦くん、絹ちゃん二人の最後の共有物だった。

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