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岩波新書「SDGs 危機の時代の羅針盤」を読んで

本文は、新しい世界を作ろうと格闘し、連帯し、敵対する国との妥協を図りSDGsという形に結晶させた高揚感にあふれていた。

本文の後ろに17のゴールとそれぞれのターゲット、実施方法が列挙されている。ざっと目を通したが、一つ気になったことがある。それは化学物質による陸域、水域、大気への汚染を防ぐことは明記されているが、放射能と核に関しては全く触れられていない。核物質を化学物質に含ませているのか、または、何らかの理由で明記できなかったのか。

予てより私はグローバル企業が節税のため本社を税金の低い国へ置いて、その利益を租税回避地にプールしていることに不満を持っていた。そして、このSDGs活動の原資も各国の拠出金による。国はグローバル企業に課税すべきなのだ。そしてその税率は世界中のどの国も同じくするべきだ。国連が国際課税をするのは難しいということを雑誌「世界」で読んだ。それならば、各国家でグローバル企業に課税をして、それを国連に拠出し、国連が再分配をする形でSDGsを進めていけばいいのではないかと思う。現在グローバル企業は富を蓄え税逃れをし、国家は税収が落ち込み、国債を発行して凌いでいる状態だ。それが元々間違いのもとなのだ。国際金融課税の問題もあるが、グローバル企業への課税を世界中どこへ行っても同じ税率を徴収されるようにすべきではないか。この本を読んで強くそう思った。資金がなければSDGsの活動ができないので、持続可能性の追求は環境や資源だけでなく活動資金にも及び、資金の枯渇がないような制度設計をしなければならないのではないか。

だけど、根っからの自由主義者は反対するのだろうな、一律課税という考え方に。だけど彼らはフロンティアを求めすぎだと思う。いつも彼らはここではないどこかを夢見る。私たちは地球という閉じた環境に適応すべきだと思うのだ。だがしかし、人間が夢見ることを制限することは非人道的ではあるまいか。ファイブ・アイズといわれるアングロサクソン同盟の国々は歴史が始まってからずっとフロンティアを夢見た民族だった。おかげで先住民族が絶滅もしているけれど。彼らのアイデンティティなのかもしれない、フロンティアを夢見ることは。困った!夢見ることを禁じるなんて、夢の中で一生を終えるマトリックスとどちらが酷いのだろう。

この迷いに巻末の「岩波新書新赤版1000点に際して」という文章が答えを与えてくれている。以下抜粋です。
しかし、日常生活のそれぞれの場で、自由と民主主義を獲得し実践することを通じて、私たち自身がそうした閉塞を乗り超え、希望の時代の幕開けを告げてゆくことは不可能ではあるまい。そのために、いま求められていること ― それは、個と個の間で開かれた対話を積み重ねながら、人間らしく生きることの条件について一人ひとりが粘り強く思考することではないか。その営みの糧となるものが、教養に外ならないと私たちは考える。歴史とは何か、よく生きるとはいかなることか、世界そして人間はどこへ向かうべきなのか ー こうした根源的な問いとの格闘が、文化と知の厚みを作り出し、個人と社会を支える基盤としての教養となった。

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