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芸術について

学生時代 哲学の先生が最後の授業で こう言った...

「芸術とは いったい何だろう?」
「あなたたちが 今 この大学で学んでいることが芸術なのだろうか?」
「芸術とは いったい何だろう?」
と...

当時の自分は 先生の仰る意味がわからなかった
「何を言っているんだ 先生は」
「音大が芸術を教えてくれているんじゃないか!」
と...
脊髄反射で チープな答えを出していた

今となっては 自分が とても恥ずかしい

卒業して ン十年経過し 社会で揉まれ スピンアウトするなど
様々な経験を経て いま やっと先生の問いに対する答えが見えてきた

音大が芸術を教えてくれる なんてことは無かった...

楽譜を読むのは読譜であり
楽譜どおり演奏するのは再生であり
楽譜のアサイン通り ノーミスで演奏することが芸術とは言えない


なのに 透明のブリーフケースに
海外エディションの楽譜を入れて

「デュラン版で ドビュッシーを学ぶ私」
「原典版で バッハを学ぶ私」
「春秋社版で バッハを学ぶ私」
「パデレフスキー版で ショパンを学ぶ私」
音大で学ぶ過程そのものに満足する学内風潮に
自分も大きく呑まれていった...


それは 大型書店で平積ベストセラー本を買って帰り
読む事無く 所有して満足の積読(つんどく)と呼ばれる
事象と何ら変わりなかろう

そんな 怠け者の自分に 芸術の神様は微笑んでくれなかった
当たり前の話だと思う

医者代払ってるんだから 病気なおしてくれよ
授業料払ってるんだから 芸術家にしてくれよ


このような 性根では ダメだということだろう

健康な心身は自分自身でつくるもの
医者がつくるものではない

芸術も日々自分自身を磨いていかなければならない
音大が芸術を授けてくれるわけではない

仮に音大が易々と芸術を授るというならば
其れは 逆に芸術ではないのかも知れない...

楽譜の読み書き、楽譜通りの演奏
作曲設計のノウハウ...これらは ひととおり学んだ
これらは 芸術ではない
最低限の創作道具に過ぎない

あとは 白紙の楽譜に 何を描くのか...
ここから やっとこさ 芸術との向き合いが 始まる

芸術は 神様のような存在だ
生半可な気持ちで近づくと 命を取られる
実父の 痛ましい事件を思い出す

自分が小学校高学年の頃 
バンド稼業が 左前になっていた父
戦前戦後の「ピアノが弾ける」レベルでは 
業界に生き残れない状況になっていた
カラオケという神器が市場にまわり
今迄クラブで生演奏していた バンドマンは 
父を含めて 殆ど間引かれてしまった

母と私と妹を扶養しなければいけない父...
だけど 父の演奏技術では お払い箱が目に見えていた

父はギャラをバンド編成人数で等分しなければいけない
ドラマーから ソロピアノで食べて行けるピアノに転向した
しかし 転向した年齢が20歳半ばを超えていたので
何事もイチからはじめなければならなかった
其れは 父にとって 至難の業だったに違いない

ピアノ転向を奨めた 父の師匠
「芸は盗むものや」と云いつつも
トリオ演奏における バッキングコードの押さえ方を
背後で立つ ボーヤの父親に そっと見せてくれたそうだ

「根音はBassが受け持つから、根を外した和音展開で鍵盤押さえるべし...」
師匠は きっと そう父に伝えたかったに違いない

しかし 父には 其れが わからなかった

また 一拍のうちに 流れ星のように聴こえる音列...
いったい どれと どれの音を押さえているのか

父は 色んなことを 知りたくて 知りたくて仕方がなかった
師匠の勧めるJAZZレコードを 可能な限り買い
FM放送のJAZZ番組を 可能な限りエアチェック録音した父...

やればやるほど プロ集団と 父自身の技量格差を
目の当たりにしてしまう

わたしが 小学校から帰ってきたとき
玄関から アルコールと血の匂いがした
フローリングには 直径5㎝程度の血だまりが ぽつり ぽつりと落ちていた
黒いスエットスーツで焼酎を煽り 台所のコンロから家に火をつけている
父が見えた...

母は 無職の父に代わり パートに出掛けている
妹は友達の家へ遊びに行っていた
このままだと 火事で 家が無くなってしまう...

自分は 猛烈に急ぎ バケツに水を汲み 火元のコンロを消火した

「弾かれへーん」
「弾かれへーん」台所にしゃがみ込み あらぬ方向を見つめる父...
父は泣いていていた

芸術を生み出す前に 先ずは「模倣段階」をクリアしなければいけない
誰もが通る道だ
しかし 父は その高い壁を超えられなかった

父は 深い心の傷を隠し、中卒の学歴を隠し、中小企業に採用されるも
数年後 履歴書詐称がバレてクビになり
家で焼酎を煽り パートから やっとこさ日銭を持って帰る母に
暴力をふるい 給料袋のお金は 焼酎とタバコに変わっていった...

警察は民事不介入で ノータッチ
学校の先生も 家庭のことは家庭で解決してください...
地獄のような幼少時期を余儀なくされた
これも 今となっては 人生修行だったのだろうと思うことにしている
父親も 母親も 恨んでいない

このような父と同じ道に進んで転ばないように母は
貯金の大枚をはたいて 自分を音大(短大)に 進ませてくれた
短大を卒業し 四大編入したいと思い 自力でバイトをして
授業料を貯金していたとき

父は刑事事件を起こし刑事に収監され 拘置所を転々とした
残された家族は 裁判所公判と拘置所接見(面会)に
行かなければならず 四大編入どころではなくなり
その夢はそこで途絶えた...

父親の擦り切れるほど聴いたレコードの曲...自分も大好きだ

デイヴ・ブルーベック「Strange Meadow Lark」
デイヴ・ブルーベック「Blue Rondo A' La Turk」
ウイントン・ケリー「飾りのついた四輪馬車」
ウイントン・ケリー「風とともに去りぬ」
ビル・エヴァンス「スプリング・イズ・ヒア」
オスカー・ピーターソン「コール・ミー」
チック・コリア「リターントゥフォーエバー」

先生...答えに辿り着くまで 時間がかかったよ
学びの場所は 音大だけではなくて 自分が学びたいという意思さえあれば
いつでも どこでも 学び気づきを得ることができるんだ

音大にいったから パーフェクトなんてマインドは全部嘘だったんだ

学生生活のころの自分は ぬるま湯につかって過ごし
芸術の怖さを あまりわからなかった
というか 全力で見ようとしなかった
でもね 父親の生き様を 目の当たりにして
芸術の怖さ そして美しさを思い知ったよ

ボク 命あるかぎり 芸術という魔物と向き合ってみるよ
いろんな人との出会いのお陰で 自分は
2014年4月16日 1stアルバムを全国リリースすることができた

いまやっと はじまったばかりだ
まだまだ やりたいこと 実験的課題が自分の頭の中に山ほどある

波瀾万丈な自分の人生...
ホームレスになってしまったときも 分け隔てなく接してくれて
歩けなくなってしまった自分の傍で 一緒に並走してくれた人に
恩返しがしたい

父のできなかったこと やりたかったこと 悔しかったこと
心の片隅にしまい
自分自身のやりたいこと できなくて悔しいこと
技術的な部分は 自分を鍛えクリアしながら
自分に負けず 挫けず 死ぬまで がんばってみる

最後まで読んでくれて ありがとう!

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