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『いわずにおれない』まど・みちお

ー 存在している全てのものに、等しく尊い価値がある。

どのページを開いても、まど・みちおさんの強い思いが溢れている。そして、リンゴやノミや湯呑みでもホコリでも、とにかくどんなものにでも、その目の前にあるものに心が震えた瞬間が、誰にでもそっくりそのまま届くようなやさしい言葉で綴られている。

まど・みちおさんへのインタビューと、作品で構成されている『いわずにおれない』は、折に触れて読み返している大好きな本。読む度に”豊かさ”ってこういうことだと心底感じるし、心が潤いでいっぱいになる。

子供の頃からいつもそばにあった歌は、まどさんが作詞したものもたくさんある。そのうちのひとつ『ぞうさん』は、この本を読んで初めてその歌に込められた想いを知った。

もちろん、詩というのは感じ方はそれぞれ、という前置きをした上で、「ただ、その詩がどういうふうに読まれたがっているかということはあります」と、まどさんは続ける。

たとえば「ぞうさん」でしたら、<ぞうさん/ぞうさん/おはなが ながいのね>と言われた子ゾウは、からかいや悪口と受け取るのが当然ではないかと思うんです。(中略)ところが、子ゾウはほめられたつもりで、うれしくてたまらないというふうに<そうよ/かあさんも ながいのよ>と答える。それは、自分が長い鼻をもったゾウであることを、かねがね誇りに思っていたからなんです。小さい子にとって、お母さんは世界じゅう、いや地球上で一番。大好きなお母さんに似ている自分も素晴らしいんだと、ごく自然に感じている。つまり、あの詩は、「ゾウに生まれてうれしいゾウの歌」と思われたがっとるんですよ。(p.11)

この歌が小さな頃から側にあったという事実に、自然と感謝が湧いてくる。まどさんの捉えた”存在の喜び”と、まどさんの想いが、いつも近くにあったことを思うと、あたたかい気持ちになる。

私も子ゾウのように、ここに存在することをもっともっと喜んでいよう。

まどさんの目を通して映る世界の絶対的で圧倒的な豊かさを味わいながら、自分も宇宙の中のちっぽけで等しく尊い存在だと思い出す。

それからしばらくするとね。今度は、ありがたく思えてきたんです。リンゴでも、ゾウでも、ノミでも、マメひと粒でも、あるいは私みたいなインチキのぐうたら人間であっても、それがここにおればほかのものは重なってここにいられない・・・っちゅうことは、この地球のうえでは、どんなものも何ものにも代えられない、かけがえのない存在として存在させてもらっている、自然の法則によって大事に大事に守られているということでしょう?それは、なんてありがたいことなんだろうと。(p.16-17)
この世の中のありとあらゆるものは、すべてが自分としての形や性質を持っていて、それぞれに尊い。そこにあるだけ、いるだけで祝福されるべきものであり、みんながみんな心行くままに存在していいはずなんですよ。(p.17)

まどさんが、今いるその場所で、目の前にあるものに対して自分の身体と心全部で関わり、全部の細胞が余すことなく活動しているのを感じる。そこから生まれた言葉はなんて贅沢なんだろう。

以前読んだ時に、私も、もっともっと全身で世界を感じたいと思った。その前に読んだ時も。その前も。

それなのに読み返すと、読んでいなかった期間にまたその気持ちを忘れていた自分に気づく。立ち止まらずに、味わうことを怠って、上辺だけをなぞるような時間を過ごした自分が毎回浮かび上がってくる。

だから、度々読み返して、私が生きている世界の豊かさと美しさを思い出す必要がある。私を含めた全ての存在が等しく尊いということも。そして少しでも、まどさんみたいにどんな小さなことでも見逃さずに愛しむ心を養えるように。

人と自分を比べて自分のほうが偉いように思ったり、逆にダメなように感じて人をうらやんだり、人のマネをしたりするのは、一生懸命でない証拠なんじゃないかなあ。小さい子どもは遊ぶとき、それに没頭して無心で遊びます。あんなふうに、自分の目の前のことに一生懸命取り組んでおれば、つまらんこと考えとる暇はないと思うんです。一生懸命になるっちゅうことは、自分が自分になること。一生懸命になれば、一人一人の違いが際立つ。いのちの個性が輝き始める・・・。自分が自分であること、自分として生かされていることを、もっともっと喜んでほしい。それには、何にもまして素晴らしいことなんですから。(p.14)

どれだけ歳を重ねても、どんな経験をしても、どんな本を読んでも、どんなタイミングであっても、きっと私はまどさんの言葉に触れるたびに、ハッとし続けるし、新鮮な感動を覚え続ける。

何度も何度も、まどさんの言葉に、まどさんの世界に、かえってきたい。

日暮れの空に一番星を探して、やっと見つけたときなんかもね。遥かな星がまたたくさんと、広大無辺の宇宙がそのまばたきによって私を見つめてくれているような気がするんですよ。自分も、宇宙を満たしている空間の一微粒子のように感じられて、宇宙との一体感に胸が震えます。(p.97)
宇宙から見れば、人間もゾウもドクダミもアリも石ころも微妙な粒子に過ぎません。ただ、その小さなひと粒ひと粒はみんな同じ価値をもつ存在として、この宇宙に生かされている。アリ以外のなにものもアリにはなれず、石ころ以外のなにものも石ころにはなれないわけですから。(p.97)


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