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Somebody To Love

「Queen」を知ったのは20歳の頃だ。当時所属していた、大学の合唱団の合宿で、男声パートの有志が「Somebody To Love」のコピーを余興で演奏する際、キーボードを手伝うことになったのがきっかけだ。まるっきりキーボードを弾けないくせに、なぜ、手伝うことになったのか、その経緯は全く覚えていないし、思い返せば、ただ、そこに参加したいだけの、困った奴だったような気がする。

キーボードを弾くために、まずはCDを聴いてみた。ベストアルバムで、赤紫色の背景に、金色の紋章のジャケットだった。それまでに、聴いたことがない音楽ばかりで、何度も何度も聴いた。合唱団では、ルネサンスからバロック期の教会音楽ばかりをやっていたので、その当時の人が、タイムマシーンに乗って、現代にやってきたくらいの衝撃だった。キーボードを無事に弾けたのかは覚えていない。歌ったメンバー達が上手くやってくれただけで、きっと弾けてなかったと思う。本当に申し訳ないし、恥ずかしい。

映画「Bohemian Rhapsody 」を見た。「Somebody To Love」ではじまった物語は、エンドロールまで一気に駆け抜けていった。映画の中の「Live AID」のシーンは細部まで忠実に再現しているそうだ。細部まで再現しようとする思いの強さが、その時、その場所にいた人々の熱量までも再現している。それまでのシーンの積み重ねと相まって、映画を観賞するというより、その時、その場所にいたかのように体験するという感覚を味わうことができる。映画館の大きなスクリーンで見るべき映画だ。

溢れるエネルギーが生み出す傲慢さ、マイノリティであることの苦悩、仲間とのすれ違い、上り詰めた故の孤独。程度の差こそあれ、誰しも心の中に暗闇を抱えている。それでも日々は続くから、私たちは歩き続ける。神様からあらかじめ残り時間を告げられたとしても、変わらず、歩き続けることができるだろうか。

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