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母の語り(戦後〜現在)

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戦後、家族を養うため、自分の夢を実現するため、台湾人と一緒になり、家族や従業員のために尽くした母の語りをまとめました。
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みーちゃんと松山へ(18歳)

「みーちゃんは,同い年の友達でねえ。 小学校ばあしか出ちょらんきよ、
字ぃも読めんで、わたしがずーっとおしえちゃりよったりしたがよ。 それで、みーちゃんは私のことが好きで好きでねえ。うんと、ようしてくれたがよ。」(母談)

当時、公立の女学校は、全国的に10校程度しかなく、四国では高知県に存在していた。菊が通ったのは、高知県立高知高等女学校で、 現在の高知丸の内高等学校である。

貧しいながらも、

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