例えば、ゴッホが素直だったら。

後輩と仕事をすると、素直で驚く。
私が言った意見やアドバイスに「なるほど!」「わかりました、やってみます!」と返事をしてくれる。

自分の考えに固執せず、他者の意見に耳を傾けられることはスゴイ。
たとえ、腹の中では納得してなくて、外面だけ納得してる風だとしても、そうやって相手を不快にさせないように返事をできるのはえらい。

私が20代のころは、どっちもできなかった。
自分の意見のほうが正しいと思っていたし、先輩の意見に納得できないという態度だった。

今思うと、ほんとにイタいヤツだったと思うし、いろいろ損をしてたなとも思う。

先輩からアドバイスをもらうことはあっても、言われたことをあまり気にしていなかった。正直いって、私は才能があると思っていたし、周りの人をバカにしていたのだと思う。
でもまあ、当然だけれど、自分よりもキャリアのある人の方がわかってることは多くて、そのアドバイスを聞かないから結果が全然出なかった。

しだいに、結果がでない時期が長くなると、自分が思った以上に何もできないことがショックで、恥ずかしくて、でも「才能がない」ということはなかなか受け入れられなかった。

自分より頭のいい人、機転がきく人、発想が豊かな人をさんざん見て、自分のアホさ加減がわかって、やっと才能がないなりに、何をすればいいんだろうと考えはじめた。
周りの意見を素直にきけるようになったのはちょうどその頃。

人の意見を聞くようにして、いろんなことが、報われたと言えば報われたし。
報われてないといえば、報われてない。
私が目標としていた結果は残せなかったけど、まあ、違う形で実績ができたりもした。

もっと素直だったらな。と、思うことがある。でも、だいたいの人は素直に人のいうことなんて聞けないんじゃないだろうか。
人の意見を聞けるのって、自分がどん底になって余裕もなくなった時だと思う。
底に落ちないと、本当に人の言うことなんて聞けないし、底に落ちないのであれば、人の意見を本当には必要としていないんだとも思う。

例えば、もしゴッホが素直に周りのアドバイスを聞いていたら、どうなっていたんだろう?
そしたら、生きているうちに評価を得られたのだろうか?
死後130年を経てなお世界中の人の心を震えさせる絵を残していたのだろうか?

ゴッホの絵には、売れなくても評価されなくても、どうしようもなく変えられなかった、ゴッホが自分で感じた美しさがある。
強烈なオリジナリティ。
自分が本当に素晴らしいと思っている感じ。
純粋に描かずにおれなかった感じ。
その想いの純度に圧倒される。

もちろん、これはゴッホだから成り立つ話で、自らを貫いたけど、誰にも覚えられず評価もされず、消えていった人がごまんといることぐらいわかってる。

わかってるんだけど、普通の人間は素直に人の意見を聞くほうがいろいろスムーズなんだと思うんだけど、
でも、無理に素直になろうとしなくても、意見を聞かないとやっていけなくなったら人は自然と素直になるのだろうと思うし、それまではひたすら自分の正しさにしがみついてもいいんじゃないか、なんて思うのです。

変えない、って意地になるというよりも、どうしても変えられなかったもの、手放せなかったものの中に、その人の正しさがある気がする。

私の中にそんなものあるんだろうか?
私の場合、自分の中の正しさよりも、人に褒められたいほうがたぶん大きい。
だから、どうしようもなく変えられない何かを持っている人、周りに合わせなくて平気な人を見ると、羨ましさとヒリヒリした痛々しさで苦しくなる。

あぁ、中途半端な頑固さじゃなくて、私も絶対に譲れないものがほしい。

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