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noteのテーマは、「サイエンスコミュニケーションを仕事にする」です


はじめまして 中村景子と申します。


2006年からサイエンスコミュニケーターという役割を生業にし、2010年から株式会社スペースタイムでクリエイティブディレクターをしています。
住まいは北海道札幌市、夫、長男くん、次男くんの4人家族。夫は定年退職し、趣味と家事に生きる人になりました。息子たちは成人したので、神奈川に住んでいる大学生の次男くんの仕送り以外は手がかからず、子育てはほぼ卒業。

noteを書き始めたきっかけとテーマ


ほったらかしのnoteのアカウント。なにかテーマがないと書き出すことも、継続もできないような気がしてはや2年以上。ところが今日、ライターの佐藤優子さんと仕事の打ち合わせのあとに雑談をしていたら、ふと「書きたいこと」が降りてきて、一念発起。
2023年11月10日は私のnoteデビュー記念日ということになりました。

さて、このnoteを使って書き記していきたいテーマは、
「サイエンスコミュニケーションを仕事にする」です。
2005年に北海道大学科学技術コミュニケーター養成ユニット(通称CoSTEP)の受講生になってから18年(2023年11月現在)。2006年にサイエンスコミュニケーションという社会貢献の重要性を感じ修了しましたが、修了直後は自分なりの継続のしかたを模索していました。

私のサイエンスコミュニケーター業のはじまり


当時、日本でサイエンスコミュニケーターとして活躍するとしたら、教員、学芸員、大学や研究所関係者や、科学報道の記者、書籍も含め科学コンテンツの制作者、科学イベントのボランティアか、米村でんじろうさんのようなエンタメ的スターになるのが方法だったと思います。
もちろんもっと多くの方法があったのでしょうけど、「科学技術コミュニケーター」という言葉を知って半年ほどの私には見えていませんでした。

40才を過ぎていて、突出したスキルも専門性を担保する博士号もないので、どこかに雇われる気がしませんでした。雇ってもらえたとしても、やりたいこと、やりたいスタイルが見つかるのか不安でもありました。

(雇ってもらうことを試してもいないのに)「自分で自分を雇えばいいじゃん!起業しよう!実験だあ!」と、前向きに「サイエンスコミュニケーションを仕事にする」ことを思いつきました。

そのころは子供たちも小さく、めちゃめちゃ手のかかるころでしたが、祖母も母も一途に仕事をする人だった家系に育った私は、ごく自然に自分も生涯仕事している人でありたいと思っていました。

東京から札幌に引っ越して前職を辞めたあと、60才になるまでの約20年間は「なにか」起業しようと考えていて、起業をテーマにした雑誌や書籍を読んでいました。そこに、サイエンスコミュニケーションに出会い、これは私の「なにか」にぴったりじゃないか!とひらめいちゃったわけです。

書き続ける自分に追い込むw


(時間をワープ)いろいろあって、いろいろあって、、、18年経ちました。

いまサイエンスコミュニケーションを仕事にする人たちに、自分の苦労話や自慢話を残したいわけではなく、これから仕事にしていく人たちに役立つ考え方や情報があるんじゃないか、それを綴ることで改めて自分の仕事を整理することができるんじゃないかと思い、noteに綴っていこうと思い立ちました。
継続は力なり、続けろ、私


CoSTEPの受講生になった2005年10月から東北大震災直後2011年3月までの迷走中のブログはこちら。「科学技術コミュニケーターってなんだろう」
その後、FacebookXをほそぼそと続けています。


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