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イベントの「ファシリテーター」って「司会・進行」と何がちがうの?
って考えたことありませんか?
私の認識は「司会・進行は、時間を上手く区切ってつなげていくことが求められ、ファシリテーターは、話を上手く重ねて思考の参加を誘うことが求められる役割」です。

今回はパネルディスカッションの場合を紹介します。(なぜなら5日前にやったばかりで記憶が鮮明なうちにと思いw)


パネラーのスタンスを特徴づける

パネルディスカッションの前に登壇しているパネラーならあらためて自己紹介は不要ですが、パネルディスカッションの時間に新たに登壇されるパネラーは自己紹介が最初に必要。

その自己紹介は、簡単な所属と名前を話したら、イベントのパンフレットやウェブサイトに載っている経歴は割愛し、パネルディスカッション前に登壇している方の話を引き合いにして、ご自身のスタンスを表明(短いコメント)をしてもらいます。
これによって、パネラー全員の考えや方向性のスタンスが特徴づけられます。

パネルディスカッションは、その名の通り、パネラーのディスカッションが肝心です。(ときどき見かける)パネラーひとりひとりの主張を述べていくミニ講演の連続パターンがありますが、これですとディスカッションの時間が短くなり話がなかなか重なっていきません。

ディスカッションの真骨頂は、話が重なり盛り上がっていくこと。壇上と視聴者の間に、山をこんもりと築いていくイメージです。

そのために何をするか?いくつか方法があると思いますが、5日前に実践したのは「パネラー相互に質問をしていただく」でした。登壇者3人はパネルディスカッションの前にご自身の研究内容をそれぞれ20分ほどお話されていたので、お互いの話を聞いた後という状態です。そのため、(たとえばAさんに)「さきほどのB さんのお話で興味を持たれたこと、質問などお話ください」とお願いすることが可能でした。

AさんがBさんに、BさんがCさんに、CさんがAさんにと順に質問して答えてもらっていく途中からAさんがCさんに聞きたくなったり、ちょこちょことファシリテーターも質問したり、、、壇上ではディスカッションが盛り上がっていきます。

これは何をしているのかというと、「視聴者の興味を深め、いい質問をしてもらうための準備」です。お手本となるような質問をパネラーにしていただくことで、「こんな質問をするとこんな話が聞けるんだ」と視聴者(参加者)はわかってくださいます。

質問の質を上げる

せっかくのその道のプロフェッショナルに来ていただいているのですから、そのかたならではのナイスな質問にナイスな答えをしてほしい。そして質疑応答の中でできるだけ多くの視聴者の気づきがあってほしいと思い、質問の質を上げるようにしていきます。

壇上のディスカッションがナイスな質問の呼び水となるように誘っていきます。
話が重なればなるほど、キーワードが浮かび上がり、視聴者はそれを感じ取ってくださいます。それをフォローするために、ファシリテーターはキーワードを太字で強調するように口にします。(さりげなくw)

多くの質問に回答する時間が無くても、結果的にパネラーも視聴者もひとつの山をいっしょに登ったような満足感があれば、ファシリテーターとしてはお役に立てたかなと思います。

サイエンスコミュニケーターらしさ

パネラーの専門性を把握しておくことはもちろん、視聴者(例えば高校生)の興味の傾向、話題の新規性、時事性、争点や合致点などを調べ考えておきます。ディスカッションと質疑応答が迷走しないように、予め可能性の地図を検討に入れておくこと。

強引な誘導はしないこと。パネラーも視聴者も気持ちよく話を重ね、楽しんでもらえるようにフォローするのが良いと思います。

「サイエンスコミュニケーターらしさ」はどこにあるの?と思われるかもしれませんが、目的は視聴者(参加者)がテーマに興味を持ち、持続することです。
納得や理解で終わらず、「ここから先はみんなで考えましょうね、やってみましょうね」という気持ちで乾いた土地に水を引くようにファシリテーションする。そこに「らしさ」があると思います。

イベントの趣旨によっては、やり方を調整しますし、ワークショップ形式であれば違う要素にも気を配ります。いろいろと創意工夫、方向を調整しながらやっていると思います。

「ファシリテーションはこうだよ」といった類の書籍がたくさんありますが、読んで「こうしなくちゃ、こうしちゃいけないんだ」と頭の中がいっぱいになって緊張するよりも、まずは実践を重ねることをオススメします。

また、参加したイベントで、なんか気持ちのいいファシリテーションだったなあとか、物足りない感じだったなあ感じたら、その理由を言語化してみると合点のいく発見があると思います。

消化不良の実態

私は、幾度となく消化不良なパネルディスカッションに参加して、パネルディスカッションという形式への期待値がほぼ底に達したとき、見えて来た共通点は、

  • ファシリテーターと司会進行は同じ役割だと思っている(致命的)

  • パネラーひとりひとりが一方的に自分の話をしているだけで、他のひとの話に触れない

  • そうなると、視聴者(参加者)にとっては、包含する課題も見えてこないし、どこに重なり(ポイント)があるのか見えてこない

  • パネラーのピントが合わないと、視聴者(参加者)もピント外れの質問、長い質問がつぎつぎとされる

  • 結果、もやもやして帰路につく

というパターン。

「パネルディスカッションはこんなものだ」と慣れてしまっていませんか。
私も諦めていましたが、17年前にたて続けに「こんなもの」に遭遇してしまい、「もっと有意義にできないのでしょうか!」とその閉会イベントで派手に問題提起して以来(誰もそんなこと覚えちゃいないのに、その責任を感じている律儀な私w)どうしたら良いパネルディスカッションになるのか考えるようになりました。

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