窓際

ブログってどういう意味だったかな

(blog) は、World Wide Web上のウェブページに、覚え書きや論評などを記すウェブサイトである」(Wikipedia)

、、だそうであるが、そのブログをはじめて書いたのは10年前。

最近、クラウドファンドなるものをはじめた勢いでいったん再開、そのまた勢いで、ともかく自分へのノートのつもりで note を始めようと思う。

自分へのノートだから公開する必要もないのだが、孤独に物事をしたためるよりか、同調してくれる人がひとりやふたりはいるやもしれず、また、万一ジェネラスな方が、記憶違いを指摘してくれるとも限らないではないか。

自分の過去のノートを振り返ると、2008年2月だけでもこれだけある。(すごいなあ。 真面目に書いている。。

ニューヨークにて
暴力と非暴力の関係について
Memo
Boat is back
会話
There is no reason
メモ
中国人アーティストのスタジオ@クイーンズ
戦後の日本憲法9条と美術展@ソーホー
清清しい人
Lawence Weiner展
Peter Weibelのトーク

知の巨人と出会って

最近、文芸評論家にして文筆家の加藤典洋さんとメールをやりとりさせていただいている。ふらっと立ち寄った展覧会で私の作品を見て好きになってくれて、いま加藤さんの信濃毎日新聞のコラム「水たまりの大きさで」の挿絵に使ってくれている。

この「日本の頭脳」ともいうべき作家に大いに刺激を受け、会話の中でふと思ったことを、忘れないうちに書き留め、ただただ自分の覚え書きとして記しておこう、と思ったのも再開の理由である。

加藤さんという人は本当に若い。いつか書こうと思うが、居つくことをしない、「清々しい、巨人」という感じである。

知の巨人からの刺激があるうちに、何か頭の片隅から湧き上がってくる考えを書き留めておくのは無駄ではない。(お金がかかることでもない)

引きこもって制作をしていても知識人と話すことはめっきりない(考えてみると人生でほとんどない)ので、これは神様がくれた人生で最後の考えをまとめる機かも知れない。独りよがりで孤独に制作してきた私のアートにとっても良いことかも知れぬ。

その時に思ったことを書き留めるようにしよう。

10年前のブログを読んで、まどろっこしい表現、勘違い、主語と述語が繋がっていない、文字の打ち間違え、などなど、、発見するたびに赤面であるーが、照れずに過去に書いたこととも向き合おう。

間違っていたら、心変わりしたら、 直せば良いのだ。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?