21.救われていたのはわたしのほうだった
駅のホームで車掌さんに手を振っている男の子と
それをほほえましくみているお母さんを見て
同じように手を振っていた小さな頃の息子を思い出した。
本来はしてはいけないことかもしれないけれど、
ホームと線路の安全を確認したあと、電車が走り出したほんの一瞬
手を振り返してくださる車掌さんもいるんだよね。
手を振り返してもらって嬉しそうな息子の顔を見るたびに
ありがたいな、と思っていた。
だけど、その行為に救われていたのは
息子よりもわたしのほうだったのだ。
息子を育てることはできても、上手に遊べなかったわたしは
こうやって誰かの厚意に支えられて
息子の笑顔や喜ぶ顔を増やしてこれたから。
変わり映えしない毎日の中で
(子供のすることは毎日想定外だけど、親はルーティンな日々ですよね )
存在そのものを祝福してくれているような
誰かから贈られるこういうちょっとした出来事を
積み重ねていく中で生まれる
「大丈夫」とか「受け入れられた」っていう安心が
親にとっても、子にとっても
まずは大事なんじゃないか、って思う。
(子供の個性を伸ばす云々、、はその先じゃない?と密かに思ってる)
息子はとにかく、もうほんとうにとにかく
可愛くてかわいくて仕方なかったのに
子育てはちっとも楽しむことができなくて
ひりひりした気持ちで毎日過ごしてたあの頃のわたしと
「手を振ってくれたね♪」って笑顔で見つめあっている
親子をなんとなく重ねてしまった夕暮れ時でした。
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スマホの中のアルバムを整理していたら、
駅員さんの帽子をかぶった息子の写真が出てきまして、、
電車を見るのが好きだった息子をベビーカーに乗せて
よく見に行っていたのだけれど、
踏切をチェックしにきた駅員さんが帽子をかぶせてくれたのでした。
そのことを思い出して、2年前に書いたものをリライト
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