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55.一週間連続して書けなかったわたしはもういない

2月1日からはじめた1週間連続投稿。
寝るまではその日、というゆるいルールも設けつつ
この記事をもって1週間書ききったことになる。


昨年、交代制で記事を書いたnoteのアドベントカレンダー。
一昨年は9人で、昨年は3人にしてカレンダーを完成させていったのだけれど、これを今年は1人で完成させたいなと思っている。

そのウォーミングアップとして、まずは1週間書き続けることからはじめてみたのだ。


さくさくと書ける日もあれば
落としどころがみつからなくて、書いては消し書いては消し、時計の針が0時にむかっていくのをまってまって!!!と焦りながら、どうにかこうにか形にして投稿した日もあった。


書きたいときに書いていた日々から、空き時間をみつけては書くためにノートパソコンを開くのが、自分でも不思議なくらい当たり前なこととなっていて、せっかく芽生えたこの感覚や習慣をもう少し持ち続けていたくもなっているところ。


そして、なによりやってみてよかったのは
日々の小さなことに、よりフォーカスするクセがついたこと。
だってなにかしら書かなきゃいけないから(笑)


毎日イベントがあるわけじゃない
印象に残る出来事がおこるわけでもない
ほとんどが淡々とすぎていく変わり映えのない1日
それはある意味、とても幸せな1日なのだけれどね。

そんな毎日でも、同じようで100%同じではないじゃない?
わたしの心も家族の心も
友達とのメールの内容も
天気も夕焼けの様子も夕飯の献立だって違う。


そんな普段はスルーしてしまいそうな
小さな変化を見逃さないように、
そこからうまれたわたしの小さな小さな声を
見逃さないようにしてきた1週間だった。



わたしの好きな作家の森瑤子さんは
「マイコレクション」という短編小説のあとがきで、
「どんな材料からでも短編が書けるような気がするの」と友人のコピーライターに言ったせいで(せいで?笑)高島屋の特定商品をテーマに毎週書くことになったということを書いていらした。

森さんをもってしても
「小説を書き始めて15年、やっと無からなにかを作り上げることの自信がついた」という前置きがあっての「どんな材料からでも書ける」なんだけど

いいのだ。わたしは一般人なんだもん(笑)
どんな小さなことからもネタを探そうとする欲と目線をもとうとする意識が芽生えただけでも、一週間書き続けた成果として認めてあげたって。



連続投稿をはじめた日に書いた


「後回しにしがちなそれは叶えて上げた瞬間に、自分にとって「大切なもの」になる。愛しいもの、愛しい経験になる。」

なった、なったよ。

もう「1週間連続で書きたいと思ったのにできなかったわたし」はいない。

一緒にやろうよ!と声を上げた自分もほめてあげたい。
そして、その声に乗ってくれたひとたちにも感謝とハグを♡

小さいころのわたしは年上のおにいさん、おねえさんの前に立ちはだかって
「ねえ、あなたいくつ?遊ばない?」とか言っちゃう物おじしない子だったらしい。(祖母談、本人さすがに幼少期すぎて記憶なしww)


きっとわたしは、あの頃のわたしを召喚してる。
「ねえ一緒にやらない?」っていうために。

だって、わたしの「やってみたい」は
もしかしたら「だれかのやってみたい」でもあったりするかもしれないから。


大きくなって「一緒にやらない?」って言えなくなったあのときのわたしももういない。


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