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哲人3


人は、イデアに憧れる、人間の思考は、イデア思想に、完璧なものをみるからだ。プラトンはこのイデアに憧れるのを、エロスとして、人間の本能であるとした。彼はイデアに、真・善・美をあげたが、イデアの中でも善のイデアを、至高としそれに向かって努力するとき思考は極められる、と説いた。
では具体的に、人や国がどうすれば、極まるのか。人の思考は理性・気概・欲望とからなるが、本来イデア的理性が、気概と欲望を、リードしなくてはならない。理性は知恵、気概は勇気、欲望は節制の徳を持っており、それぞれが調和して思考のすべてが徳を持つ事になる、これが結果としての4げんとくである。
理想的国家の姿は、欲望を満たすにたる、生産者と気概にたる防衛者と、理性に優れた統治者からなるのが、最も理想形である。そしてそれぞれ、知恵と勇気と節制の徳を得て、国家の調和と秩序に目覚めたとき、正義が実現するのである。
これらは、思考を極めた哲人こそが、統治者になることこそ、理想とする、後にアレクサンダー大王も哲人としての教育を受けている。
プラトンの弟子にアリストテレスがおり、彼はアレキサンダー大王の師でもあった。彼自身実際のところ、政治にはあまり興味を持たず、学者として、自然界また、一般の人間を研究対象としていた。彼の考えは現実主義と言われ、プラトンとアリストテレスの、哲学的双璧をなし。晩年リュケオンと言う学園を作り、教育と研究のまとめなどした。かれもテオリアを重んじ。人間と動物の違いはりせいにある。理性の徳は真理の認識に在り、結果として思考・技術・知恵の徳を持つとした。
欲望と感情は、理性の働きで、正しい行為を望むようになり、それが習い性となり徳をなす。
理性の働きは、過、不、の両極を取らない、中庸である。これは、臆病と蛮勇の中道が勇気であり、虚しくも、快楽に溺れもしない中道が節制で、虚栄と卑屈の中道が誇り、媚び諂いと傲慢の無礼の中道が愛想の良さ、だと示している、これらが中庸である。
人間の本性は、社会的である。とアリストテレスは考え、中庸の中で親しいものへの、合法な行為と、公平であることと、友愛、こそが国家的社会性であるとして、重要視した。
アリストテレスは、客観的に、物事を知性の目で見て、自らの周りを観察する、テオリアの知恵の実現を望んだ。何事の生活幸福も富も、客観的に中庸で見ていくことが、理想的生活であり、当時のギリシャ人の、人生感を、垣間見るものだ。
 ギリシャ人の哲学は、西洋思想の源流として、キリスト教に先んじて西洋文化の根底をなし、その影響は、現代文明にも色濃く反映している。

私なりにやらせていただいてます、有り難い。