シモキタを歩く
平日休日問わず、下北沢を3時間ほど歩くことが好きだ。
下北を歩くと決めた日は、必ず、Club Queそばのブックエンドカフェで好きなクッキー1枚とブレンドコーヒーを買う。
食べ歩きながら、スマホをしまい込み、向かうのは、森厳寺と北沢八幡。
たどり着くころには、食べ飲み終えているので、しっかりと両手を合わせて何かを祈る。
もしくは「こんにちは」と一言を置いて去る。
森厳寺の大きな銀杏の木には、最近、緑のインコがたくさん住み着いている。
巣も見つけてしまっった。
ワカケホンセイインコという彼、彼女たちは、問題視されているということだ。
けれど、阿弥陀如来の目と鼻の先に拠点を得た鳥たちを駆逐しろとは言う気になれない。
noteでこの案件の結城綾香の押し問答をはじめても何も面白くないので、少し前に尊敬する先輩に諭された「赦す」という言葉を思い出したことだけ記すことにする。
あなたたちがそれぞれに脳内で鳥たちの生命力あふれる喧騒と仏像を思い描いて現時点の考えを定めればよい話だ。
話は逸れたが、寺社をあとにして駅に向かう。
私は店に長居をするというのが申し訳なく、また、最近、下北沢は再開発でどこも人が多いため、喫茶店にはあまり立ち寄らない。
昼時などで小腹がすいていたら、ZACに立ち寄るくらいだろうか。
ここのトーストやサンドイッチセットは大変良い。
大皿にどん!と食べ物が乗ってやってくるので、両手を使って食べなければならない。
食だけに集中できる素晴らしい環境だ。
よって、昼をひとりで食べるときは、大体ここだ。
昔、友人とは言ったときはおやつどきだったから、バナナタルトを食べたがケーキもおいしい。
ここまでで大体1.5-2時間くらいだろうか。
残り時間は、ふらっと友達の働いている店に顔を出す。
たまに一杯だけひっかけたりする。
文庫本片手に酒を一杯。
こういう大人になるとは思っていなかった。
もう少し、閉鎖的な人間のまま生きていくと思っていた。
時々、他人と話す。
じゃれてくる柴犬の飼い主、訪ね先の店員さん、美容院に立ち寄る時は担当さん。
見知らぬ人とたまに会う人たち。
その瞬間の表面だけのキラキラした側面だけをなぞった浅い会話がなんだか心地よい。
私は服をあまり持っていないので、同じような格好で歩くけれど、たまに帽子を被ったり靴を変えたりもする。
ゴジラのリバーシブルのハットの柄のほうを表にして、3足しかもっていない靴のうち、チョコビ柄のものを履いて歩くと、一気に休日感が出てよい。
そして、下北というサブカルな色の一つになることができた気もしてとってもよい。
かつて、そういう形の姿を小馬鹿にする人たちに囲まれていた。
「オタクみたい」
「意識高い」
といった名目だっただろうか。
そのため、私もどこかで鼻で笑うようにしていた。
けれど、私はそういう人間になりたかった。
だから、こういう自分で選んだ好きな街で、好きなルートを歩いて、好きな食べ物と会いたい人たちに、無理のない歩幅と身の丈に合った所要時間を過ごすことができるようになった自分のことが好きなのだ。
この春に少し遠くに引っ越してしまったけれど、それもまた、適切な距離で愛する下北沢と相対することができてよい。
私の好きなミュージシャンが歌っていた、
「なんかいいなって空気があって」
という言葉が、その歌詞の意図とは離れてはいると思うのだけれど、下北を好きに歩いているときは特に、キラキラとわたしの心を強く守ってくれるお守りになっているような気がする。
次訪れる日が遠くなっても、そのお守りを心に抱いて、私は毎日を歩いている。
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