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主体否定と思考 ~野矢茂樹著『ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む』第10~11章の分析

主体否定と思考 ~野矢茂樹著『ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む』第10~11章の分析

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12章の内容を分析しても、これまでの主張の繰り返しになりそうなのでとばします。

残るは13章の「死について、幸福について」ですが、どうしようかな・・・

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 本稿は野矢茂樹著『ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む』(筑摩書房、2006年)第10章「独我論」(205~227ページ)、第11章「自我は対象ではない」(228~249ページ)の分析である。
 内容としては、独我論、「思考し表象する主体は存在しない」というウィトゲンシュタインの主張、論理空間と私との関係について論じた後で、「思考」「考える」とは何か、そして「彼女は夕立が来そうだと思う」のような命題的態度を含む文に関して考察を行う。
 なお、付録として「文庫本あとがきにかえて―――『哲学探究』からみた『論理哲学論考』」(野矢、349~377ページ)の分析も行っている。

<目次> ()内はページ
1.” ただ現れるものだけを厳格に禁欲的に受け取る”ことができていない”現象主義” (2)
2.現象言語であろうと日常言語であろうと言語の有意味性に関しては同じ (4)
3.独我論というよりも「私は知っていること以外は知らない」という当たり前のことを言っているだけなのでは? (6)
4.「思考し表象する主体は存在しない」が、何かをしている物理的存在としての私は対象として現れている (10)
5.「思考」「考える」とは (11)
6.「私」の同一性 (15)
付録:「語りえぬもの」とは直示的定義、言葉と対象事物とのつながりのこと (17)
(1) 『探求』は『論考』と両立しない
(2) 「語りえぬもの」とは直示的定義、言葉と対象事物とのつながりのこと
(3) 規則のパラドクスについて
(4) 操作を数えるとき、既に整数の知識が前提となっている


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