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規則・ルールと真偽とを混同してはならない

過去の記事については、こちらをご覧ください。
分析哲学・論理学批判|カピ哲!|note

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 特定の論理空間における真理値は恣意的に変更できない。しかし論理空間がいかなるものかによって真理値は変わってくる。真偽の与えられ方にはいくつかあるのだ。今回はとりあえず二つ説明してみよう。

(1)ルール設定により変更できない真偽
(2)ルール設定により変更できる真偽

(1)ルール設定により変更できない真偽

 先ほどの二等辺三角形の事例を見てみよう。

これは変更のきかない事実であり、これを否定することは矛盾・ナンセンスとなる。

(2)ルール設定により変更できる真偽

 例えば野球競技には野球競技のルールがある。そしてそれは一つの論理空間を形成し、特定の真偽関係が現れて来る。例えば、

① ファール安打(ファール∧安打)→矛盾?偽?
② 内野安打(内野∧安打)→矛盾ではない(恒真ではないが)
③ (ボール4の前に)ストライクを3つ取られるとバッターアウト→真
④ ボール4で三振バッターアウト→偽

・・・このような真偽関係を導き出すこともできる。これらは野球のルールが不変である限り変化することはない。ルール設定により自動的に導かれる、恣意的な変更の許されない真偽関係なのである。①を矛盾とするか偽とするか判断の分かれるところである。野球競技におけるルールから導き出される論理空間ではありえない話であるが、そういうものを想像することはできるからである。
 野球のルールが変更されて4ストライクでアウトということになれば③は偽になる。内野ゴロはすべてアウトというルールになれば、②は偽となる。

 ダメットが示した事例では・・・

前件が命令を受けた人の能力内にあるような条件付き命令(たとえば、母親が子供に「外出するのなら、コートを着て行きなさい」と言う)は、つねに真理関数的条件法での賭のようなものである。

(ダメット、15ページ)

・・・しかし、外出しなかったから賭けが成立しなかった、という見方も可能である。結局のところどちらでも良いのだ。なぜなら人為的ルールだからだ。
 ダメットは命令について次のように説明しているが、

しかしこのように考えることもできるのである。

・・・これはダメットの言う「条件付き賭」となる。しかし真理関数的条件法に従った命令内容にするのか、条件付き賭に従った命令内容にするのかは、命令する人がどう考えるかにかかっているのであって、別にどちらが正しいとか間違いとか判断できるようなものではない。そもそも真偽の問題ではないのだから。
 これは真偽関係そのものではなく、その前提となるルールなのである。真偽関係は次のように定まるであろう。単純なA→Bの図式ではないことが分かるであろう。

命令を守れば罰せられず、命令を守らなければ罰せられるのであれば、次のような真理値表になる。

・・・結局のところ、論理学における条件法の真理値設定は、命令を守る/守らない、罰せられない/罰せられる、というルール設定と、真/偽の関係とを混同しているのである。
 当然、真偽関係はルール変更により別のものになってしまう。

(ルールと真理値についてはまだまだ続きます。現実と小説についてなど・・・)

<引用文献>
M.ダメット著「真理(1959)」『真理という謎』(藤田晋吾訳、勁草書房、1986年、1~43ページ)

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