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娘が不登校になった #2

学校に行けなくなって何日が経ったのだろう。
何日目でやっと私は今の娘を受け入れたのだろう。

ごめんね。こんなママで。
辛かったよね。
1番きついのは娘なのに。私が味方でいてあげれていなくて。
どうしてこうなっちゃったのか、自分でも分からないのにね。1番どうして?って思っているのは娘なのにね。

心が壊れちゃった娘を抱きしめた。
あの夜。死んじゃうんじゃないかと思った。
赤ちゃんの様に泣きじゃくった。泣いて泣いて。泣き疲れて眠っても、それでも抱きしめていた。
娘の顔を見つめながら一緒に眠った。

私より身体が大きくなった娘。こんなに抱きしめたのは、いつぶりだろう。
ソフトテニスで優勝した時も抱き合って喜んだ。
でもそれとも違う。赤ちゃんを抱くように抱いた。
大事で大事で。離したら壊れちゃいそうで。死んじゃいそうで。手が痺れても。足が痺れても。それでも抱いていた。


朝から起きて、自分の部屋に行った娘を置いて、仕事に行った。同居している義母に、娘の様子見をお願いして。
怖かった。帰ったら死んでるんじゃないかと思うと、怖くて全身心臓になったみたいにばくばくしながら帰りの車を運転をした。

夕飯の買い物もせず、とにかく帰って娘の部屋に向かった。いた。ベッドの中。動かない。寝てる?死んでる?確かめたくて、娘の頬を触る。ビクッと反応するの確かめて、やっと安堵する。

娘からすれば、寝てるのに起こさないで、かな?
でも我慢できなかった。赤ちゃんの時のように、寝ているのを起こしたくなった。ごめんね、こんなママで。

何回こんなことを繰り返したのだろう。
何日間、死んじゃうんじゃないかと心配したのだろう。

やがて死ぬことはないかな、と思えるようになってきた。

あれは精神科に娘が行けてからだっただろうか?
お薬を飲み出して1週間後、誰かがリビングに居てもやっと部屋から出てくるようになった。でも、顔は浮腫んだまんま。虚ろな目をしている。

お薬を飲み出して少しづつ、少しづつ、ほんの少しずつだけど表情が軽くなっていった。決して笑うわけじゃない。でも微妙な変化を感じていた。

お薬を飲み出して1ヶ月後、明らかに顔色が明るくなった。目に魂が宿っているのがわかった。

どう?少し楽になった?
うん。ちょっと。

自覚もあるようだった。

お医者さんから言われたのは本当だった。
沈んだ気持ちは、必ず上がってきます。その上がり方はひとそれぞれだけど、でも人には治癒力というのが備わっているから、必ず上がります、と。そのお手伝いをお薬がしてくれますが、飲まなくてもゆっくりと必ず上がります。

そう言われて私たちが選んだのは、お薬を飲む方だった。高校は、ずっと休んでるわけに行かなかったから。出席日数が必要だったから。時間が無くて、飲む方を選んだ。

心の支えだった。
必ず上がってくる、そう思えたのがありがたかった。信じた。信じて信じて待った。
待つしかなかったから。信じて待った。

待って良かった。
落ち込んでから3ヶ月経っていたのか。あれは。
長かった。今となってはそのくらい、と思わないでもないが、やはり待つのは長かった。

少しづつ顔色が変わる。目の色が変わる。
毎日毎日ちゃんと見ていないと怖かった。自分が怖かった。私が壊れてしまいそうで。

もう、娘と私は一心同体だった。

相変わらず、ポストカードに書いた手紙は、そっと置いて仕事に行っていた。娘がご飯を食べるであろう場所に置いて。

帰るとそのポストカードはいつも無くなっていて。
きっと娘が部屋に持っていったのだと思う。

読んでくれた。
少しほっとする。私の愛は伝わったかな?心の栄養は少しづつ溜まっているかな?

まだ期待はしない。しちゃいけない。求めてはいけない。どんな状態の娘でもいい。そのまんまでいい。そのまんまの娘を愛している。

繰り返し。繰り返し。自分に唱える。
自分に言い聞かせる。

そんな時のことを、今思い返すと愛おしくなる。

よく頑張ったね。そう、娘を誇らしく思う。


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