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廬山シリーズ①ーー廬山ってどんな山?

雨続きの毎日、いかがお過ごしでしょうか?

ところで、「廬山」という山をご存じでしょうか? 聞いたことはあるけれど・・・という方が多いのではないかと思います。

漢詩にもよく詠まれていますし、中国現代史にも登場する地名です。

私は、学生時代に一度だけ訪れたことがありますが、当時は何の予備知識も持っていなかったため、本当にもったいないことをしました。

私自身の頭の中でも「廬山」に関する知識はバラバラになったままですので、この機会に、「廬山」についてまとめつつ、「廬山」にちなんだ詩文をいくつかご紹介しようと考えました。

しばらくお付き合いください。

廬山は江西省九江市、長江の南岸にあり、「鄱陽湖(はようこ)」という中国最大の淡水湖のほとりに聳えています。

一つの大きな山という訳ではなく、高さ1473mの主峰「漢陽峰」を始め、白居易の詩で有名な香炉峰や五老峰などの衆峰から成る山々です。

「廬山」の名前の由来については、いくつかの神話・伝説がありますが、古くは『史記』に、その名が記されていたと言われています。

神仙が廬(いおり)を結んだことから名付けられたとも言われる「廬山」は、仏教にも縁の深い場所でした。

この廬山の麓に、先に慧遠(えよう)という僧が西林寺を開き(367年)、その後、中国浄土宗の開祖とされる慧遠(えおん)が、東林寺を建立しました。386年(東晋)のことです。

ここで、エピソードを一つご紹介。

『天平の甍』で有名な鑑真和上は、753年に6度目の渡航でようやく日本に渡られたわけですが、渡航前にこの東林寺に立ち寄られ、智恩という僧を伴われたとのこと。

時代を隔てて、日本にも関わりのあるお寺だったのですね。

東林寺建立とほぼ同時代の4世紀後半には、田園詩人として名高い陶淵明が廬山の麓に生まれ、

陶淵明に傾倒した、唐代の李白・白居易、宋代の蘇軾・・・と多くの文人がこの地を訪れました。

更に時代は下り、19世紀後半から20世紀初めにかけては、欧米諸国の進出により、廬山は避暑地として栄えました。

その後も国家の重要な会議が廬山で行われたことで、その名は知られています。

そして、何と

1996年には世界遺産にも登録されました。

地図などを含む詳しい説明は以下のサイトをご覧ください。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%AC%E5%B1%B1


調べてみると、廬山は、思っていた以上に奥の深い山
であることがわかりました。

陶淵明に始まる文学の足跡をこれからゆっくりたどってみたいと
考えています。

気長にお付き合いいただければ幸いです😊


【参考書籍】

①『庐山史话』 周銮书著  上海人民出版社

②『中国古典紀行2 唐詩の旅』 講談社

③『中国の旅5 桂林と華中・華南』 講談社+中国人民出版社

④『中国の二〇〇〇年ーー詩と旅のガイド 中国幻想行』 森本哲郎著          角川選書


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