見出し画像

発信してみることにした[初めてのnote]

このnoteは、私の思考の為のトレーニングだ。

私の拙い文章で恐縮だが、感じていることや考えていることを綴っていく。お付き合いいただけると嬉しい。

そもそもなぜnoteで書き始めようと思ったか

理由はシンプルで、

自分の頭で考えるということが、めっきり減っていることにふと気づいたから。

毎日目の前のことをただただこなしていくという状態が、急に怖くなった。

別に、仕事もそれなりにしているしプライベートもそこそこ充実してはいる。

だがどうしても、このまま中身の何もないつまらない人間になるんじゃないかみたいな漠然とした恐怖感を感じてしまう。

さらに、優秀そうだと周りに見られている、思われているというプレッシャーを少なからず感じている気もしなくもない。幼い頃から期待されていたタイプの人はこの気持ちがわかる人も多いのではないだろうか。

とにかく漠然と現状が怖い。だから強制的に自分に「思考」させることに決めた。

そして、「自分の意見を書く」ことが、私的に一番頭の中を整理しながら思考している瞬間だと(今の所は)思っている。

だからは私はnoteを始める。

深い理由はない。ただ、書くということが私を強制的に「思考する」為の手段になると私が知っているからというだけだ。

なぜ思考しなくなったのか?

この話をするにおいて、私の幼い頃から今に至るまでの流れをざっくりお話しさせてもらいたい。

自分で言うのもなんだが、どちらかというと私はもともとは考えることが好きなタイプだと思う。思考するのが好きというより、”なぜ”かを考えるのが好きという方が正しいかもしれないが。

この始まりは、小学校・中学校にかなり影響を受けていて、勉強のスピードは超ゆっくりだが、”なぜ”そういう結果になるのかを徹底して教えてくれる所だった。理科も数学も、世間の学校は公式を覚えてどんどん問題を説いているのに、私達はいちいちどうやってその結果になるのかを実験して実際に経験させられた。中学校では、急いきなり公式だけを提示する先生に変わり、授業に納得出来ず、その公式が成り立つ理由を説明するまで、授業を一時中断させかけてしまったことがあるくらいだった。

小学校・中学校も相当自由で変わり者が多い学校だったが、高校・大学も、帰国子女が数多くいる学校で一般的な学校とは少し違う環境だったと言えるだろう。世界中からの帰国子女がいる環境のおかげもあり、それぞれの文化・前提が異なることを当たり前にしてくれた。これが目に見えるものだけではなく、そのバックグラウンドを考えることについて、さらに私を発車をかけたのかもしれない。

余談だが、これらの学校で過ごせたことは本当に親に感謝だと私は思っている。(※おかげで私の過ごしてきた卒業生たちは、社会人になってカルチャーショックを受けることもかなり多いが。笑)

その教育あってか、新卒で初めて入った会社も、その”なぜ”の説明に私が最も納得した会社だった。

約2年半その会社に在籍していたが、自分としても会社としても初めてのことを色々やらせてもらった。なんでもゼロから考えなくてはいなかったから、徹底的になぜやるのかを考えていた。また、社内が理由が明白で理がかなっているならば後押ししてくれ、理由がないと徹底的に詰められるという環境だったのも多い。

ここではあまり関係ないので詳しくは述べないが、ある時1社目で”なぜ”この会社にいた方が良いのかが見えなくなった。

それを機に、現在の会社に転職をした。

小学校から社会人まで、私には常に”なぜ”が取り巻いていた。私にとっては、”なぜ”が行動のエネルギーの源だった。

だがこの転職が、大きな変化をもたらすこととなった。

「人の意見を聞かないトップの存在」

新卒の会社をやめて、現在とある中小企業で働いている。会社の事業内容はっても興味深いし面白い。

だが、人の意見を聞かないトップの存在。スタッフに意見は求める。むしろ求めまくりだ。だが、自身の方向性と異なると、スタッフ一同が頭を捻って考えたことに対して、全く聞く耳を持たない。(その他色々言いたいことがあるが、愚痴る為に書いているのではないので、この一言で済ませることにする。笑)

このようなタイプの人間は、世間にはごろごろしているのだろうけれども、私にとっては衝撃的だった。正直、こんなに人の意見を聞かない人今まで出会ったことがなかった。今までの恵まれた人間関係に感謝する。笑

最初の頃は、業界も環境も変わったのだから、こんな人もいるんだなあ、大変だなあくらいにしか思っていなかったし、知らないことばかりで指示されたことをやることだけで精一杯だったというのもあるかもしれない。

だが働き始めて半年くらい経ち、仕事にもなれ始めてきた頃、ついに私は感じ始めた。

「この人の為に、自分のエネルギーを使うのは無駄だ」と。

この思いが湧いてしまったことが、思考停止の決定打だった。

正確に言うと、考えていないというよりも、「より良い事業を生む為」とか、「面白いことをする」為に思考することをやめたと言うべきなのかもしれないが。

では何に頭を使っているのかというと、「どうやったらこのトップと一番無駄なエネルギーを使わずに仕事を進められるか」だ。ああ、悲しい。

そして、気づいた時には面白いことを求めたり、考えたりということをしなくなっていた。

だから私はnoteを始める。

仕事外でなんでも好きなことをやればいいじゃないか、と思う方が大勢いるだろう。それは重々承知している。

だが、お伝えしたように私は悲しいことに”なぜ”を行動の源としている。逆に言うと、”なぜ”の部分が見えないものに対しては行動出来ない面倒くさいタイプ人間だ。

そして今の所、残念ながら私にとって”なぜ”やるのかの答えを持つことに出会えていない。

だから、このnoteを書くというミッションが私の思考する為の”なぜ”になってもらわないと困るのだ。




私の拙い最初のnoteを読んでくださり、ありがとうございました。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?