見出し画像

めも。

どの街も同じように表現することに怒ってる。街を訪れればその街の表情を感じるものではないのか。その表情を見にそこを訪れるのではないのか。その畏れすらある感覚を写すのが写真ではないか。どこへ行っても見たいものしか見ない(見えない)のではなく、旅先と対話的な関係を築くべきではないのか。

それはそこらに溢れている写真への怒りであり、どの出版社も同じことを書くガイドブックへの怒りであり、タグ付けしてその点でしか見にくいプラットフォームを作るInstagramへの怒りであり、どの都市も同じような都市計画をする60年代以降の行政への怒りだ。

まだ見ぬものを、見えないものを見る、それだけのために旅をする

ひとり旅の資金にしたいと思います。 行ったひとり旅の写真はまたノートにするかもしれません。